ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

水泳が教える人生。

2009.01.23

最近は健康ブームでどこでもジムが大盛況。

特に大きなプールのあるスポーツジムは人気のようですね。

さらに、スチーム及び乾燥サウナ、大きなお風呂、しっかりした化粧室があるともっと人気が高いようです。でも、通っている方の理由No1は何と言っても体力の維持とダイエット(きれいなプロポーション作り)であることは変わりないのですが・・・

私もご多聞に漏れず、ジム通いを頑張っています。

でも、普段は仕事の帰りに行くことになり、そのためには自宅よりシャツやシューズを入れたスポーツバッグを持って出かけなくてはいけないことになります。荷物をもって歩くのが好きでない私にとってはこれは嫌なことです。

そこで普段はマシンでのエクササイズは行わず、もっぱら水泳に徹しております。

これであればスウィミングパンツ・ゴーグル・キャップだけでよく、通勤カバンにも充分入りますからね。

プールに着くとそこに来ている人の殆どは60歳前後の方々。

私のところではその内で女性が70%は占めていると思います。20歳代の方は10%もいないことが多いです。これはスポーツセンターの場所や若い方々は仕事や付き合いのために普段は来るのが難しいためでしょう。

そして、来ている方々はとても熱心ですし、水泳のレッスンを受けている方もすごく泳ぎが上手く、そこまで泳げるのならレッスンを受ける必要がないと思うほどです。この方々はもっときれいな泳ぎのフォームや速い泳ぎを求めているのでしょう。

でも、泳ぎを私のようにダイエット対策としてやるのであれば余り泳ぎがうまくならな方がいいのではないのかな?と思っています。

上手くなると無駄な体力は使わないため、ほとんど疲れることなく泳ぎ続けられますからエネルギーの消費が少ないと思っているからです。

これであればダイエット効果は少なくなるのではないのかな?と思う私です。

むしろ、下手なほうが無駄に体力を使いますし、本来の目的を達せれるように思うのです。

また、水泳においては速く泳ぐことが出来るといったことよりも、むしろ長く泳ぎ続けられるというか、溺れずに長い間、水に居れるといったことの方が実際は人生においてもっと役に立つことでしょう。

人生や会社経営においても早く進んでも途中で力尽きたらおしまいですからね。

成人の日。

2009.01.16

1月12日は成人の日でしたね。

美しい振袖着物を着た若い人が街を歩くのを見て、やはり「日本の着物はすてきだなあ〜」と思っていた私でした。

私が20歳の時を思い起すとなるともう30年も前のこととなりますが、当時の私には20歳のイメージは次のようなものでした。

「女性はおしゃれになりだし、本格的にお化粧を始める。」
「男は遠慮なく酒を飲むことができる。」

と言った。たわいもないイメージで、日本国民として大事な選挙権を持つなどいった意識は殆どありませんでした。

でも、「20歳になったら親には頼らず生きていかなくてはいけない。」という意識はすごく強くありましたね。

ですから、この時より自立が始まりました。

自宅から大学に通っていた時は家に食事代や住居費を払いませんでしたが、アパート生活になってからはすべて自分のお金で生活を始めました。学費、生活費、旅行費、免許などすべて自分でアルバイトしたお金での生活でした。

でも、とても楽しかったです。

自分で何もかもすることで大人の仲間入りができるというのが僕の正直な気持ちでした。

その当時、流行っていた歌が「『いちご白書』をもう一度」や「神田川」といったフォークソングです。今でも、この歌を聴くと自分の学生時代が走馬灯のように思い出されます。

最近の若者は、どのように20歳をとらえているのかな?と思うと。

女性においては中学生後半からすでにお化粧を始めていますし、高校生においては大人の人と間違えるぐらいバッチリお化粧できる人も多くいますよね。そして多くのブランド品も持っています。すごいですよね。昔はこういう人はいませんでした。

一方、男性においては、ファッションなのかも知れないですけど、破れたズボンを穿いて歩いている人がいたり、バサバサに乱れたヘアースタイルをしていたりする姿をみると、がっかり。。。自分の「20歳の男」のイメージとはかなりかけ離れているのが現状です。これも時代が変わったのでしょう。

ただ、日本は本当にこれでいいのかなのかと感じます。

昔で言えば20歳は元服。武家に生まれていれば、今までのような子供のような髪型などから服装は一転して変わり武士の仲間入り。今後は国を守る一員として扱われ、お殿様からも頼りとされるような立派な侍となる!といった入り口ですよね。子供時代の甘えを捨て、己を磨くといった内への強い精神力と体力をもつことを誓い、自分にもそれを植え付ける入り口といった歳。こういったけじめが昔の男にはありましたよね。

今はこういったこともなく、日本は平和で戦争もないから兵隊に徴兵されることもないので毎日のんびりと生活しています。本当に幸せな国です。

でも、私としては若い人たちにこの20歳と言う歳を「時間軸」で考えるのではなく、人生における「責任意識」という軸で、ぜひ考えてもらいたいと思います。

20歳からは自己への責任だけでなく社会への責任が発生してくることを強く認識すると共に、世界に恥じない強い精神力と体力をつけてもらいたいと願っています。

子供の教育こそ、日本を良くする王道。

2009.01.09

今年の正月はどこにも行かず東京(自宅)におりました。

この時期、さすがに東京の道もガラガラでまさに車で動くなら最高の時期です。でも、私は車には乗らず、天気も良かったこともあって港区のあちこちをプラプラと歩きまわりました。すると感じたことがありました。

『東京はどこを歩いてもきれいだな〜』

ゴミも落ちていませんし、アスファルトの上に土埃もなく、水で洗ったようにきれいな表面。前日に雨が降ったわけではないのですから、やはり普段からきれいなのでしょう。また、公園に行けば花壇にはきれいに花が植えられ、私たちに「春がくるのを楽しみにしていてね。」と歌っているようです。ですから歩いているととても気持ちがいいです。

しかし、こういったきれいな街を維持するには私たちが想像する以上に多くの人の手がかかっているのでしょう。

そこで、私はふと思ったのです。

今は政治に対し国民の関心が薄れています。

「政治家は何をやっているの?何もやってくれていないじゃない。単なる陣地争いをやっているだけじゃない。政治家はいつも自分のことを考えてばかり、まったく国民のことは考えてない!」等々、いろいろな批判的な意見が多くあると思います。決してプラスの意見を聞くことはありません。

しかし、そこで考えなくてはいけません。

確かにそういった日本であることは事実ですが、政治が混沌としている国あるいは発展途上国と比べると街は段違いにきれいです。そしてとても清潔です。これはやはり・・・

(1)国がしっかり街を維持していること
(2)国民が規律正しいこと
(3)教育が行き届いていること
(4)一般生活が苦しくないこと

が大きな原因と思います。

ですから、こういったことを私たちは日頃から感じておかなければいけないですし、知っておくことは日本を良くして行くためにとても大事なことです。

そのためにはどうすれば良いか。

それはずばり、「肌で知るボランティア活動」だと思ったのです。

それも子供たちにそれを教えることが大切であると。

具体的には、義務教育の授業の一つとして公共活動をどんどん受けるのです。

少なくとも週に2時間ぐらいは欲しいですね。街に出てゴミを片付け、花壇の手入れ、公園の掃除、通路の掃除などはどうでしょうか?

公園に行けば浮浪者に会い、何故この人達は働かないのだろう。どうやって生活しているのだろうといった社会への問題意識も高まることでしょう。

これらを通じて、子供たちは国が行うべきこと、現在行っている状況を知るでしょう。

こうやって一生懸命に街をきれいにしているのにもかかわらず、ゴミ箱にゴミを捨てず、あちこちに捨てる様な人が何故いるのだろう?といった疑問も出てくるでしょう。

町がきれいになると幸せな気分になると思っているのに・・・と言ったような、公共を大事にする意識、つまり街を自分の家と同じように大切にするような考えも芽生えてくるのではないでしょうか?

自分の家にチューリップの花をたくさん飾るより、駅から自宅に帰る道、学校に通う道にチューリップが咲いているほうがもっと嬉しいといった子供たちが育ってくれば、きっと日本の20年後は大きく変わると思います。

「子供の教育こそ、日本を良くする王道」と私は信じています。

このためにも今の大人がもっとしっかりしなくては・・・。

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