ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

親にとって子供は何歳になってもかわいい子供なのですね

2018.06.29

先週、空港に向かう電車でのことでした。途中の駅より3人の親子が乗車し、私の真向かいに子供を真ん中に挟んで座りました。子供と言ってもすでに25歳を過ぎていると思われる青年で背の高い若者でした。その年齢から考えると、ご一緒の両親は65歳を超えていることでしょう。お父様の髪の毛を見るとかなり白くなっていましたからね。

一方、青年は障害をお持ちのようで、席に座わると目を大きく開き、前をじっと見つめ、膝に手をつっぱって置いています。これでは落ち着かないようで、頻繁に頭を小刻みに動かしていました。すると、お父様はすぐに青年の手の甲に自分の手を優しくかぶせて、ゆっくりとしたリズムで膝を叩きはじめました。

その様子を見ながら、「子供は大きくなってもやはり親にとってはいつまでもかわいい子供なのだなあ~」とつくづく感じましたね。そして、このお父さんのこの優しさにより青年は大きな声も上げることなく座席にじっとしていることができているようでした。

一方、青年のお母さんはスマホにかじりつきです。お父さんがいるからそうだったのかもしれませんが、私にはお父さんとお母さんの行動があまりにも違ったので、違和感がありましたね。

でも、まだ、このご両親が健康であるから青年も助かっていますよね。幸せですよね。しかし、これから10年、20年、30年と時間が経っていくと、どうなるのでしょう。こういった状況の親子は日本中にきっと多くいるのでしょうね。

私は、同じように障害をもった子供を持つ方を3人知っています。彼らの子供へそそぐ愛情にはいつも頭が下がります。彼らの話を聞くと私にはとても彼らの真似は出来ないと思うとともに、恥ずかしさを感じます。

彼らは自分の自由な時間のほとんどを子供に当て、仕事が終われば友人と飲み会などに行くこともなく、自宅で一人で子供の面倒を一生懸命に見ている妻を少しでも早く手伝おうと、まっすぐに帰宅します。「加藤ね、子供が大きくなるとお風呂に入れるのはとても女性の力ではできないからね、僕がやってあげなければいけないでしょう・・・」と彼は言っていましたね。確かにそうですよね。本当にそうですよね。力のいる作業ですから・・・。

そういった話を聞いていましたので、目の前のご両親がいつまでも健康でいてもらいたいなと思いました。そして、こういった優しい親がおられるにも係わらず幼い子を虐待し死亡させる事件などが増え続けています。何と世の中は矛盾に満ちているのでしょうか?考えさせられますね。

最高のクリエイティブな行動とは

2018.06.22

常に思うことなのですが、人間の体は実によくできていると思いませんか?自分で栄養を取り、それを消化して体内に送り、いらなくなった物は排出し体を動かします。体が疲れれば自然に寝ます。主要な臓器や手足は基本的に2個ずつあります。一つが不能になってもこれなら大丈夫です。水と酸素、そして栄養に、光を取り入れえて、体を機能させ、心臓は休むことなく80年から90年も動き続けます。しかし、永遠に動き続けることはありません。新たな世代に次の時代を作ることを託すかのように、生命にも限度があります。

人間の素晴らしさを述べればきりがありません。その中で、私が特に価値感を持っていることの一つに「想像力と創造力」があります。これは、人は、人それぞれが違う存在であるという「個」というものを示す一つの力であり宝だとも思っています。

ですから、私は社員にいつも「考えろ!考えろ!そして何度も考え貫け!」と要求しています。いや、強制しているかもしれません。私にとっては覚えておく力、「記憶力」はそれほど価値をもたないのです。無論、記憶力も大事ですが、もっと大事なのはこの「想像力と創造力」だと思っています。

ですから、社員には「事務作業は効率化を目指せ。そして自分の時間は創造的な活動 – クリエイティブな事をするのに時間を使え。できることなる自分の時間の80%を!」と言っています。

また、常に自分でも何かを考えているようにしています。目に映ったものは何でもその時のテーマになります。ですから、毎日がとても楽しいです。流れる雲を見ていても、常にその雲の事のみならず、空気の事、光の事、気温の事、なんでも考えようとします。ですから、考えることが大好きな人間です。考えることは「賢い」とは違います。考えることは誰にも出来ることですから、想像と創造することは私の趣味のようなものです。

一方、創造(クリエイト)な行動をすることは誰にでも、出来る力であるものの、芸術や音楽においてはコンクールがあり、そこではこの力に順位がつけられ、そのレベルが計られます。

でも、私は日頃いつも思ってきたのですが、この「想像力と創造力」といったものに本当に順位がづけが出来るのきるだろうかと?もし、それができないのであれば、何が本当にすばらしい「想像力と創造力」なのであろうかと?そこで、最近、自分としての結論がやっとでました。そして、それはほぼ自分では正しいのではないかと思っています。人間としての最高のクリエイティブな行動とは・・・

それは「思いやり」の行動だと思うのです。

この世の中で他人の事(相手のこと)を思うほどクリエイティブな行動はないと今は思っています。

では、何でそう思ったのかというと、自分はいつまでも一緒にいたいと思う人・好きな人は、きれいでも格好いい人でもありません。自分が尊敬できる人です。それは今も昔も変わりません。では、「何でその人を尊敬できていたのか?」と考えると、その人の生き方に勇気、行動力、責任感、そして「クリエイティブの凄さ」を感じていたからからだったのです。

その「クリエイティブな行動の凄さ」は自己の実現を目指すことを通じて、社会に感動を与え、明るい・安心な未来を創ってあげたいという「思いやり」だったのだと、私はわかったのです。

このことに気が付いた私は、眼からウロコが落ちるような気持ちとなりました。自分の周りにあることを「想像力と創造力」を持って行えば、この世の中が幸せに満ちていくとこがわかったのです。こんな簡単なことにまったく気が付かなかったのです。

でも、今は違います、今も幸せなのに、更にもっともっと幸せになったような気がします。心がウキウキします。(なお、私は哲学者でも宗教学者でもないのですので、誤解しないでください。ごく平凡な人間なのです。)

どうしてもこの最高のクリエイティブな行動の事と、自分が見つけた「想像力と創造力」に満ちて感動と共に生きる人生の歩み方を伝えたくて、ここに書かせて頂きました。

文章が長くなってごめんなさい。

自分のことは自分で守る

2018.06.15

今週の話題は、何と言っても70年間 敵対視してきたアメリカと北朝鮮の米朝会議でしたよね。若い方にはあまりこういった政治には関心がないかもしれませんが、これは日本の政治・経済における立場、そして国の安全を維持していくにはとっても大事な会議だったのです。

会議に先立って会談の内容について周到に打ち合わせが行われる中で、北朝鮮のアメリカをじらす発言がトランプ大統領の気持ちを逆なでし、一時はこの会議の実現はむずかしいとされましたが、すぐに北朝鮮は態度を変え6月12日にシンガポールでの会議開催にこぎつけました。

当初の予想通り、今回の首脳会議のレベルでは具体的な北朝鮮の非核化の内容について合意がなされるわけはなく、どこまでトランプ大統領が踏み込んでいけるかがポイントでした。

結果として北朝鮮からは非核化を行うことについては言及がなく、現在のミサイル実験施設を廃却するにとどまりました。この発言は一見、前向きな行動のように思えますが、私としてはきっと北朝鮮にとってこの施設はもはや不要となった施設であるから、こういったことが発言できたのだと思っています。どうしてもまだ必要であればそんなことを言うはずがないと皆さんは思いませんか?

また、北朝鮮の拉致被害者の解放については安部総理もトランプ大統領に会議前に「是非とも実現できるように努力してもらいたい」旨を述べ、トランプ大統領もこれを承諾、会議の席で北朝鮮にこの旨を伝えました。

これに関して私が思うことは、トランプ大統領としては日本を操っていくにはこの話題を無視することはできないが、と言って、この問題はアメリカ国民にとってはどうでもいいことであり、自分の支持率を上げるものではないと考えているのではないかと思います。

ですから、北朝鮮の会議では約束通りにこのことは要求しても、その論議をすることまでは考えておらず、この問題については日朝間で話し合って解決してもらいたいという考えと思っていましたが、全くその通りの結果に終わってしまいました。

これを見てもわかるように、アメリカは自国の利益になることしかやりません。特にトランプ大統領の姿勢はそうです。損になるようなことはしません。損にならないなら、アメリカに被害がないなら、費用が発生しないなら、「日本の要求することを北朝鮮に言ってあげるよ」といった程度の軽い気持ちだったのだと思います。

ですから、この拉致問題については日本独自で北朝鮮と話し合い、解決せねばなりません。

これと同様のことが言えるのが中国と領土について争いあっている尖閣列島問題です。日本は、日本の安全は日米安全保障に基づきアメリカに守ってもらえると理解しています。実際にはそうかもしれませんが、私は次のように思っています。

アメリカは確かに日米安全保障に基づき日本を守るが、それは本土のことであり、人も住んでいないようなちっぽけな島まで軍隊を使ってまで守る事など全く考えてないと思うのです。

ですから、もし尖閣諸島を日本が失いたくないのであれば、日本は軍事行動を起こしてもいいというような法整備と設備を整える必要があると私は思います。中国が何か行動する場合にはアメリカに事前に相談するような状態で、これが「日本が領土を守っている」といえるのでしょうか。私は「いえない」と思います。

領土を守る判断は自国で出来なければいけません。つまり、日本はアメリカに対しては連絡だけすれば言いという状態にすべきなのです。行動は自国が決めるべきで、これに対して集団的自衛権といった法整備を行うことが必要だと思うのです。

つまり、アメリカは「日本への核抑止、中国の軍事活動の抑止は行えるけど、小さなトラブルまで解決してもらいたいとアメリカに要求するのは行き過ぎだ!」と考えていると思うのです。自分のことは自分で守り、全てアメリカに「おんぶにだっこで」はいけないぞといった考なのだと思います。

私個人的にもそう思います。日本が尖閣諸島を守りたければ、そこを警備する駆逐艦や飛行機を日本が購入し、アメリカにこれを与えて、兵隊の費用も持つべきかもしれません。もし、それが嫌なら自国を守ることについてもっと軍事力・法整備について早く整えていかざるを得ないと考えます。

このように考えると現在、経済力が落ちてきている日本なのに、更に世界でも社会的立場や政治力がダウンしたらどうなるのでしょうか?本来、もっと日本はしっかりしているはずです。

「政治家の方々、しっかりしてくださいよ!」と大きな声で言いたいです。

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