ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

体が治っても家計が壊れる。

2007.12.21

先日、TVを見ていたら診察料などの回収ができず困っている病院が多くあるという放送がありました。

これは病気や怪我をした人が診療を受けても、その代金を支払う経済力がなく、病院もこの問題に困っているというわけです。

医療は生命を救うのが基本。人はみな平等に生きる権利を持つ。

だから、金があろうがなかろうが病気や怪我をした人を助けるのは当然のことですが、無論それには費用がかかります。

患者はお金もなければ保険にも加入してない。当然、こういった人の多くにクレジットーカードも持っていませんから支払う能力はないと言うわけ。

医者はこういったときどうするのでしょうか?との問いを、我々に投げかけるだけで、その番組は終わっていました。

実は、この裏にすごく醜い世界があるのです。

最近、アメリカでは前述のような医療機関が抱えた負債を買い取り、自分らでその負債の回収を行う企業が出てきているのです。

買い取った債務に高額な利息をつけて当該患者に立替治療費を請求するそうです。いわゆる金利で儲ける金融業(金貸し屋)ですから、まさにサラ金に似た感じですね。

患者は体が治っても家計が壊れ、何のために治療したかが全くわからなくなってしまう事態が起こるのです。

具体的には、治療費が払えなかったために医療現場(病院)で今後の支払いについてのことに書かれた書類にサインをする。あるいは、クレジットの契約をする。しかし、その書類にはいろいろな条件が記載され、時によってはその未払い金を他社に売却することなどが記載されていたりするそうです。(小さな字で書かれたりして)

それを気にせずにサインすると、あとは地獄。借金取りの攻撃の嵐にあうことになるのです。

でも、この医療費の負債をじっと抱えたままでいると病院も経営が成り立たない。人を助けたために自分が駄目になってしまうわけです。

つまり、「弱きを助ける」といった医療の世界においても、不良債権回収の裏に、とても恐ろしい金融の闇がかくれていることを忘れてはいけません。

このことは金融業がまさに利息により儲ける事業であることを、まざまざと教えてくれる内容です。

日本続落。

2007.12.14

新聞に、毎日といっていいほど子供たちの進学塾のチラシが入ってくる。

21時以降の電車でも塾帰りの小学生をしばしば見かける。まさに日本は小さい頃からの受験戦争国だ。

こういう子供たちを見ているとかわいそうになるのは私だけなのだろうか?

ところで先日、世界57カ国・地域で約40万人の15歳男女(日本では高校1年生)を対象に実施した「学習到達度調査」の結果を発表された。日本からは約6000人の高校1年生が参加したという。学力テストの内容は「読解力」「数学的活用力」「科学的活用力」の3分野。

日本の順位は、いずれの分野でも前回(03年)より後退と情けない状態。

特に成績の悪かったのが、「読解力」では15位、数学的活用力10位。

一方、学力が伸びてきた国は、フィンランド・韓国・カナダ。

以前は福祉国家、何もない国と言われてスカンジナビアの国がいつの間にか人材を作り上げてきた。確かに、携帯で一躍世界におどり出た「ノキア」の力を見てもフィンランドの変身を知るとができる。そして、教育においても日本のように1つの答えを出すのではなく、たとえ答えが違ってもその答えを導き出す思考過程を重要視している。この教育があったからこそ、今回のような結果を出したのであろう。

一方、韓国・中国は昔より受験国といわれていた。また近年、大学では世界の有名教授を呼び込んで大学レベルの向上を図っている。世界に勝つ為の人材づくりに力を入れるという流れが、ここにも確実に起きている。

そして、カナダ。この伸びはおそらくカナダ人の伸びというよりも、韓国・中国・台湾からの移民の師弟が増えたからであろう。彼らは子供の教育に家系が総力を上げて力を注ぐ。

自国では母国語だけしか覚えられない。それは駄目だ。英語が話せなくては今後やっていけない。それであればカナダに子供を送り、名門校や全寮制の学校に入れ言語とともにその他の教育をしっかり勉強させる。そして大学を卒業させた後はその能力でもって世界的なビジネスをできるようにさせてあげたいと願っているわけだ。

これは、「親のお金はいつかなくなるが、親が与えた能力はなくならない。」との考え方から来ているのだ。

こうしてみると日本の子供たちの読解力と理科系の学力の低下には非常に心配させられる。

「読み・書き・そろばん」は勉強の基本。ゆとり授業も良いが、ここまで成績が悪くなると今後の日本を心配してしまう。

夜遅くまで塾で勉強している子供たちの学習は本当に世界に勝てるのあろうか?
自分ひとりでも生きていけるような力をつける学習なのだろうか?
たったひと時の受検のための勉強が何になるのであろうか?
本当にこの子供たちは進学校にいきたいのだろうか?
親にいわれたことに何の疑いも持たず行かされているのではなかろうか?
親の見栄のための受検ではなかろうか?

機械となっているかわいそうな子供たち。

子供たちはもう寝るべき時間というのに、少年の目は、ただただ電車より外にきらめくライトを追っていた。

MustとWant。

2007.12.07

『疲れてなんかいないよ!』と、元気に答えてくれる人が少ない、この時世。

商売をしている方と話をしていても、
「なかなか厳しいですよ。」「あまり儲かりませんわ。」という言葉ばかり。

「儲かって儲かってしょうがないですよ!」「体のエネルギーが余って仕方がありませんよ。どこか爆発させるところないですかね。」といった人に会えないものだろうかと、いつも思います。

小学生の子供たちの会話でも、「あー、今日は疲れた。毎日ストレスがたまるよ。肩はこるし。マッサージを受けたいなぁ〜」などの言葉が時には聞かれます。

「この子達は、おじさんかよ?」とあきれかえるほどです。

一方、かわいそうにもなってしまいます。やはり子供は「腕白でもいい、たくましく育ってほしい」がわたしの希望。

学校をから帰ってきたら玄関にカバンを放り出して、一気に遊びに出かけるような子供が好きです。

しかし、いろいろなところでストレスという言葉を聴きます。

確かに、現代社会はストレス社会なのでしょうが、これほどまでにストレスを感じている人がいるのかと思うほどです。

「なぜ、ストレスを感じるのか?」

この答えは簡単。

おそらく多くの方が自分の思うように時間を送ることができないためなのでしょう。

つまり外からのエネルギーにより自分が邪魔されたり、あるいは影響を受けてしまうということでしょうね。

しかしながら、生きていく上でそれを無視したり、逆らったり、逃れたりすることができない。だから精神的疲れを感じてくるのでしょう。

でも、これはMust(しなければいけない)という生き方の世界にいる人が感じることなのでしょう。

人生には2つの生き方があると思います。Must(しなければいけない)とWant(したい)。

なぜ、人はWantの生き方をしないのかと思います。そのような人はいるのでしょうが、多くがMustの生き方をしているためにストレス社会といわれるのでしょう。

Wantを選ぶことができる自由を持った日本社会であるのに、なぜ、それを選ぶ人が多くいないのでしょうか。Wantを選んだ生き方だったのに、あるいは事情が変わりMustの人生になってしまったのでしょうか?

それとも自分のWant が何かわからないのでしょうか?Wantを追いかけることが恐ろしいのでしょうか?毎日ストレスと感じながら、嫌々生きて行くような人生など面白くないと思うのです。

Wantは経済と文化が充分に発達した場合とまったく発達してない状況では起きてこないのかも知れませんが、このような状況はほとんどないわけですから、誰にでも必ずWantがあるはずです。

人生、泣いても笑っても一回限り。 いくつの年齢になってもMustではなくWantの世界を生きようではありませんか。

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