ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

アジアからの看護。

2008.03.28

私の父は82歳。すこぶる元気。

見た目はまさに60歳台のアクティブシニアを象徴するといってもいい人である。

また、母もこの父に続けとばかりにこれまた元気である。

ともあれ両親が元気であることは子供にとっての何よりの幸せであるし、二人が病気と言ったこととは無縁であることを嬉しく思う。

一方、私と同じ年代の友人と会って出てくる言葉は、両親の健康の問題と自分の体の衰え。

まるで衰えていくことが中年の話題のようにさえ私には感じる。

「悪いけど俺をその話に入れないでくれよ。でも、奥さんの更年期の悩みの話しなら君らよりわかるから、相談にはのるからね・・・」といった具合である。

だから、彼らにとっては頼もしい友人?の一人であるようだ。

そういった話の中に出るのが特別老人福祉施設の話であったり、日頃の看護の悩みであったりする。

現在、フィリピンで審議されている日比経済連携協定が発効すれば日本へも2年間で400人のフィリピン看護師受け入れが始まる。

これよりも先行しそうな国はインドネシア。

英語圏であれば、間違いなくインドであろう。

もはや、これには歯止めがかけられない。

まさに看護は外人に頼るしかないといった時代が来るかもしれない。

フィリピンの経済は出稼ぎ者がいるからこそ成り立っているといわれている。

いままでは隣の香港などへの家政婦働き、そして中近東での建設事業などが主であったが、そのカトリックに根ざす宗教心からして、今後の看護分野への世界進出は国を挙げて進出してくることは明らかである。

しかし一方では、自国の医療体制が十分に行き届いてないのも事実である。

過疎地においては十分な報酬や施設を提供できないといった現実がそこにはある。

自国で資格を持ちながら、賃金の差・環境の差からやむなく先進国へ看護師として出て行く人々を止められない国の苦しさが見え隠れしている。

今後、これらの人が我々のそばでサービスをしてくれる際に「故郷に年老いた両親を置いて出稼ぎに来た看護師たち」に対し、彼らのサービスをどのような気持ちを持って受けとめたらいいのか迷うところである。

皆、当然に両親と一緒に暮らしたいし、両親の世話をしたいのだから・・・

このページの先頭へ