ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

説得力のある返答。

2014.10.03

「最近、小さい字がぼやけるようになったので、そろそろメガネを買わなくてはいけないな」と思っていたところ、池袋を歩いていたら「どこよりも安いメガネ屋さん」と書かれた看板が出ていたのでその店に入ってみました。

全て既成の品ばかりですが確かに実に安いです。

品物によっては8割引きなどといったものもありました。

「どうしてこんない安いのかな?まぁ、いつもかけているわけでもないし、仕事をする時にかけるぐらいのことだから、高級なものは必要ないな。まして、すぐになくしてしまう恐れもあるし。それよりも、かけてて軽いものがいいな」と思いながら店内を見回しましたが、残念なことに色やデザインで気にいったものがありませんでした。

「でも、せっかくだからこれも何かの縁、何か買っていこう」と思い、サングラスを首から掛ける紐を買って帰る事にしました。

支払いをしていたらレジの横に「度数が合うようでしたらお一人様一つだけですが、ご自由にお持ち下さい」とプラスチック製のメガネのレンズが片眼だけですが、ビニールの小袋に入って置かれていました。

早速、手にとって目に近づけてみると、文字がよ見えるではありませんか。

プラスチックですから軽いですし、割れにくいですし、レンズだけですから小さいのでポケットに入れていても邪魔にもなりません。

「これは便利だわ」と思い、一つもらって行くことにしました。

そこで、「待てよ。これなら誰がもらっても喜ぶかもしれないから、一人一つとなっているけど2個もらって行こう」と思い店主に「おじさん、すいませんがこれ二つもらってもいいですか?」とたずねましたら、おじさんは笑いながら指を顔の前で左右に横に振りながら答えました。

「お客さん、それはダメだよ。もし、二つ欲しいならメガネを買って行ってよ。」と。

私も笑いながら、「そうだよね。そんなことしたら店が潰れちゃうよね。」と言って、一つだけをポケットに入れて帰ってきました。

今考えれば、「実におじさん、説得力のある返答だったな」と思いだして笑えてしまいます。

一日を振り返る

2014.09.26

最近、思うだけで考えるとことをしなくなった人が増えてきているような気がします。

「いや、自分はよく考えているよ!」という人がいても、「その考えを行動に移していますか?」と尋ねたくなります。

考えていても行動しない人を見ると「そんなことなら意見するなよ」「相手のことを恨ましがるなよ」「自分でやって見せればいいじゃないか」などと、言いたくなってしまいます。

とかくこういった人は、他人の事にはあれこれ意見を言うのですが、自分のことについてじっくりと考えている人がいないように思います。

でも、人は自分をじっくり見直すということはとても大切なことだと思っています。

どんなに些細なことでもいいのです。

思うだけでなく考えることです。

この行動があってこそ、人は成長していくのだと思います。

苦難を乗り越えていくことにより、人は成長していくと思うのです。

自分の存在というものは、とかく苦しさを感じたときにしかわからないものです。

それは空気と同じ、あるいは心臓の動きと同じです。

日頃の生活でこれらを意識することはありません。

意識するとすれば水に入った時に、息苦しくなったり、心臓がドキドキした時位ではないでしょうか。

でも、空気が薄くなればどうなるでしょうか?

汚くなればどうなるでしょうか?

心臓を大切にしないとどうなるでしょうか?

こういったことを意識することで、幸せで長生きの出来る人生を送ることが出来るのではないでしょうか?

人生も同じだと思うのです。

「人生」と難しく、固く考えなくてもいいと思うのです。

今日起きたいい事や楽しかった事、あるいは嫌であったことが「なぜ起きたのか?」と考えることは大事なことだと思います。

そして、自分がこの世に生命を与えられたのは、何か理由があると常に考えてもらいたいと思います。(私は決して宗教家でありません。ただ命を大切に思っているだけです)。

その命を本当に大切に思うのなら、きっと自分の人生には辛い・苦しいといった事は起きていないのだと思うのです。

苦しいと感じているのはその時の自分だけです。

将来、そのことを思い起こしたら苦しくないと感じるかもしれません。

今の自分にとっては苦しいと感じたら、それはその次ぎに起きることに対しての喜びを大きく深く感じてもらいたいと神が与えたエネルギーなのではないでしょうか?

寝床に入ってからでもよいですから、是非とも一日を振り返ってみてください。

人生がきっと楽しくなりますよ。

幸せを感じますよ。

ストレスなど吹っ飛んでしまいますよ。

大人の責任

2014.09.19

昨年、大学生の息子に年金支払いの催促状が届きました。

「お父さん、僕は学生だから収入はないのに、何故年金の支払いをしなければいけないの?どうやって支払えというの」と聞かれ、将来彼らが老人になった時には、収め続けた年金が払われることはないと思っている私にとっては、「これはもっともな疑問だ」と思いました。

今年は彼からこの催促状について話がないので、おそらくアルバイトでもして何とか払ったのかもしれませんが、私はそれもおかしいことと思っています。

学生の仕事は勉学であるのに、年金支払のために勉強をせずにアルバイトをしなければいけないのですから。

この責任はどこにあるのでしょうか?

それは言わずと知れた日本国ですが、その前に「大人の責任」と言えるでしょう。

一方、先日はスマホの弊害について述べましたが、最近はそういった利己主義的な考え方よりもっとひどい、「法律を守っていればいいではないか?何を文句言われる必要があるのだよ!」といった事を感じる人間が増えたような気がします。

たとえば、「脱法ドラッグ」ですね。

いくら法律で規制していないハーブといえども、それを使用することにより社会に問題を起こすようであれば使用すべきでないし、また店も販売すべきでないことは当然のことです。

でも、「法律に違反していなし、お金を払って買っているのだから何の文句があるのだよ!」といった感じで、それを吸って気分が飛んでしまって死亡事故を起こします。

これで本人の一生の人生はパーとなってしまいます。

なんてバカな行動なのでしょうか。

小学校でも子供に先生が手を上げようものならPTAは大騒ぎです。

あるいは自分の子供であれば親は何をしてもいいと言わんばかりに家庭内でひどい暴力を行い、ついには殺してしまうほどエスカレートしてしまっています。

こういった事はとても理解出来ない行動をとる者たちは、大人の責任といったものが全くない獣以下の人間です。

ですから、子供たちの間でいじめが起こり、子供が自殺するようなことが起きてくるのも
そういった社会状況であれば起こっても不思議なことではありません。

これはすべて、我々大人の責任だと思います。

一人の子を複数の子がいじめることは許されないことです。

とても卑怯なことです。

教師も父兄のことを気にして、いじめをみても事無かれ主義、そして子供たちも自分に火の粉が降りかかってこないように同じようにことなかれ主義です。

いじめは決してなくなることはありません。

生物の世界ではこれは絶対に起きるものだと私は思っています。

ですから起きないように防止すべきなのです。

それは思ったより簡単なことです。

皆で協力すればよいのです。

先生も、生徒もみんなでいじめる子に「いじめるのはやめろ!」と、どんどん言えばいいのです。

そして皆で、いじめられた子をいつも自分らの仲間に入れてあげるようにすればいいのです。

こういったことは人間として大人でも子供でも当たり前のことです。

でも、この当たり前のことができないために子供の自殺が絶えません。

とてもつらいことです。

その子の命は二度と戻ってきませんし、つらく寂しい気持ちでなくなってしまったかと思うと胸が強く痛みます。

こんなことも教えることができない大人が増えて、どうして世の中がよくなっていくでしょうか?

今の大人(親)は、責任というものをもっとよく考える必要があるでしょう。

こう書きながら戦争で特攻隊として向かったあの勇敢で純粋な少年・青年たちが考えた「自分たちの責任」ということを思い出すと、本当にどうして日本はここまで人間的にも低下してしまったのかと思わずにはいられません。

今我々は大人の責任を真剣に考えなければいけない時に来ているのです。

子供たちのために・・・。

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