ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

オーガニック野菜にこってます。

2014.09.12

最近、無農薬野菜への関心が大きくなっているように感じます。

いや、正しく言えば「オーガニック野菜」です。

というのは、無農薬野菜と言っても現実は薬品を使った野菜もたくさん出回っているからです。

それは、農林水産省が農薬と指定していない薬品を使って育てた野菜であれば無農薬野菜と言えるからです。

ですから、[無農薬野菜は薬を使用せずに育てられた野菜」と言うのは間違った認識で、前述のように「オーガニック野菜」と訂正したわけです。

オーガニック野菜とは、化学農薬・化成肥料、そして環境ホルモンや遺伝子組み換え技術を避けて、自然のままの状態で育てられた野菜です。

それは微生物の力で分解された土壌の成分を吸い取って、光と水ときれいな空気の力によって光合成が行ない、栄養が作り出されている野菜です。

まさに、美しい地球があってこそ出来る野菜といったイメージ。

そこには「自然・優しさ・恵み」といったものを感じますね。

最近、私もこれにこっています。

といっても、全ての野菜をオーガニックにしたというわけでなく、サラダと夕食の後のデザートの果物だけです。

このようになったのも、青山通りを週末に歩いていた時でした。

国際連合大学の前の広場にテントが20件程出ていたので、「何かな?」と思いのぞいてみるとオーガニック野菜の朝市でした。

場所は東京ですから山梨・千葉・群馬・岐阜・長野より持ってこられたものが主のようでしたが、すべてが生産者の方々のこだわりの品ばかりです。

野菜のみならず、ジャムや食用油、豆腐など色々なものがあります。

木箱に並きれいに並べられたみずみずしい野菜を手にとって匂いを嗅いでみると、まさに野菜の自然の香りがしたので、一度買ってみるようかと5種類ほどの野菜を買い、夕食に食べてみると野菜の香りが心地よく、とってもおいしかったのです。

それ以後、毎週その朝市に行き最低4日分のサラダの野菜を買っています。

ドレッシングは極めてシンプル。

塩こうじ、胡椒、とうがらし、レモン、オリーブ油、えゴマ油、ごま油、味の素、醤油を適当に入れてかき混ぜ、これを振りかけています。

そして、ポイントはこれにブルーチーズを細かく切ったものと、当社の美容サプリNagestを上にまぶして出来上がり。

見た目もきれいですし、味も最高です。

毎回、これを食べるのが楽しみになるほど気にいっています。
(Nagestはサプリですが甘い粉末なのでサラダにもかけられます。)

渋谷近くにお住まいの方は、ぜひ行って見てください。

値段も決して高くありません。

開催は週末のみのです。

スマホ依存者の無礼な行動

2014.09.05

いやはや、今までに何度もスマホの弊害について述べましたが、どんどんその使い方のマナーがひどくなっているように感じます。

それは目に余るひどさです。

通勤ラッシュの電車を降りてもスマホから目を離さず、ずっとスマホを見っぱなし。

行きかう人の多いプラットホームを歩くときも、あるいは階段の上り下りもずっとスマホにくぎ付けでトボトボ歩き。

皆が急いで歩きたいのに本人は全くお構いなし。

「急いで歩きたいのなら私を追い越して歩けばいいでしょう。私はスマホを見るのに忙しいのだから…」といった感じです。

エスカレーターに乗っている時もスマホにくぎ付け。

そのためデパートのエスカレーターの乗り継ぎフロアーでゆっくり歩いていては、後から来る人がフロアーに降りづらくなることも少なくありません。

たくさんの人が乗っている状態でこんなことをすれば、エスカレーターに足を挟まれたり、倒れてすべり落ちてしまう可能性さえあります。

恐ろしいことですが、いつかきっと大きな事故が起きて社会問題になると私は思っています。

また、道を歩いても顔をあげることなくスマホにくぎ付けです。

正面から人が歩いて来ようと全く避ける気持ちはなく、「その道には自分だけしか歩いていない」とでも思っているかのようにまっすぐに歩いてくる人の多いこと。

わかっているのか、わかっていないのかは不明ですが(私は彼らはわかっているにもかかわらずわかっていないようなふりをしているのだと思っていますが・・・)どちらにせよそんな事はこのスマホ中毒者に関係ないようです。

ともあれ世界が尊敬する日本人の礼儀といったものは、一体どこに行ってしまったのでしょうかね?

特にこういった行動は日本の若者に多いと思います。

こういった公共で守るべきマナーすら無視して自分の行動しか考えなくなった人間が、我日本にどんどん生まれていることは、本当に恥ずかしく嘆かわしく思う毎日です。

今後の日本は大丈夫なのでしょうかね?

今時の結婚の条件

2014.08.29

以前、中国では若者の男性数が女性数よりも多いため、特に田舎においては、なかなか結婚出来ないという話しをしました。

キルギスでは略奪結婚も起きているそうです。

これを聞いて思いだしたのが、独身女性が求める結婚相手の条件「三高」、つまり「高学歴、高収入、高身長」です。

しかし、時代を経て今は「三低」だそうです。

三低とは「低学歴・低収入・低身長」ではありません。

答えを聞けば、まさに時代を反映しています。

それは「低姿勢、低依存、低リスク」です。

「低姿勢」とは威張らない人。

つまり男尊女卑の男は嫌いということです。

「低依存」は、自分の事は自分で出来る人。

もし、自分が外出して家にいなければ炊事や洗濯は自分でやるし、子供の世話もしてくれる男性ということです。

そして「低リスク」とは自分の生活リズムが大きく変えられる事のない条件です。

つまりは自分の時間を持てるようにしてくれる、相手を望んでいるということですね。

この内容を聞いて理解出来るものの、やや頭をかしげる点も私にはあります。

それは「愛」があれば「低姿勢」とか「低依存」といった言葉は出てこないと思うのです。

長く一緒に生活していく中で「相手を尊敬出来なければ無理」と考えている私にとっては、生活の中で威張るも威張らないもありません。

相手への尊敬を軸において物事を判断してみれば、威張るとか威張らないとかいったつまらない態度のような問題などは起きてこないと思うのです。

何事もお互いが力を合わせてやればよいだけの事です。 

また「低依存」というのも「自分が生きていくためには自分で何事も出来なければいけない」といった考え方を持っていれば、出来る内容のレベルに差があるものの、不快を感じさせるほどまで、相手に依存するといったような行動は起きないと思うのです。

この依存症と言うのは「甘え」以外の何ものでもないと思っています。

一方、たとえ依存症でなくても、相手があれやこれやと気を使ったり、世話を焼いたりしてくれるのは愛があるからこそ起きるものなのでしょうから、それを黙って受けているからといって依存症にはあたらないでしょう。

実は私が最も注目したのは最後の「低リスク」という点です。

これは今後ますます重みを増していく事だと思います。

この意味は一見「収入が安定している企業に勤めていて、つぶれるような事はない」などを意味しているように思われますが、私はそうでないと思います。

今は大企業であろうが中小企業であろうが、力のない会社はつぶれる時代ですからね。

それよりも、親は健康であるか?

将来、親の面倒は誰がみるのか?

一人っ子ではないか?

ガンの家系ではないか? 

痴呆症などの疑いのある高齢の親ではないか?などといった事ではないでしょうか。

こういった高齢者の面倒を見ることになったら、束縛されてしまい、自分の人生が無くなってしまうといった不安感から「低リスク」といった言葉に現れているような気が私にはします。

まさに結婚条件にも高齢化社会の影響が表れているのではないのでしょうか。

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