ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

海外から来た富士登山客

2014.08.01

先週、海外の友人が友達4人を連れて日本に来ました。

この方達の趣味は登山。

今回の目的は富士登山です。

海外においても世界遺産として登録されただけに、人気はかなり高いようです。

友人達も富士登山の旅行パックを2か月前ほど前に予約し、念入りな準備をし、富士登山に胸を躍らせて来日されました。

そして来日した東京は異常なまでの真夏日。

35度の猛暑で、富士山周辺でもよい天気であったようです。

一行の参加した富士登山ツアーは最終的に39名の参加、朝早く東京を出発、まずは富士山5合目までバスで行き、そこより8合目まで登り、仮眠をとって深夜山頂を目指し、朝のご来光を眺めて下山するという内容でした。

私は天気に恵まれたこともあり、きっ良い登山ができると思っていたら・・・。

仲間の一人の女性が7合目で体調を崩し、ここで登山を断念することになりました。

そこで、この女性の体調が落ち着いたところで下山させ、他の仲間4人はそのまま登山を続行しようとしたのですが、ツアーを率いていたガイドからストップがかかりました。

一人だけ置いていくことは出来ないので、誰か彼女と一緒に残ってもらいたいと。

ただしその人は日本語がわかること。

そう言われたものの、この5人のグループの中では私の友人一人しか日本語が出来ないので、この友人が彼女に付き添うことになりました。

しかし、友人は彼女のために登頂を諦めなければなりません。

この富士山登頂のために、海外から来たのに無念で仕方がありません。

自分しか話せる人がいないのですから。

そこで残りの3人はそのまま登頂目指して頑張ることにし、ガイドにその報告をしたのですが、ここでまた問題発生。

今度はガイドより「この3人は日本語が話せないので連れていくことは出来ません。登山ガイドとしてあなたたち5人のグループに対し責任を負っているので、もしこの3人がそのまま登山を続けた場合に、万一登山中で注意事項や事故があった場合に日本語がわからなくては私としては責任が取れません。このため、登山を続行させることはできません。」と言われみな愕然。

この富士登山だけのために海外から来たのに、この登頂を目の前にして断念しなければいけません。

皆の体調は何の問題もなく登る元気は十分にあるのに、全員が登頂を断念することになったのです。

体調が悪くなった彼女から皆へは「体の具合が悪くなったので、どうしても登れなかったの。ごめんなさい・・・。」の一言だけ。

このことに対して皆さんはどう思われますか?

たとえ友達であっても、皆がこの登山目的のために休暇と大金を使って日本まで来たのですから、この彼女の不調の原因だけで仲間全員が登頂を断念しなくてはいけなくなったことを考えると、私としては彼女はある程度は、皆の費用の弁償をしなければいけないと思うのですが皆さんはどう思われるでしょうか?

私は彼女の「体の調子が悪くなったからしかたないでしょ!」と言わんばかりの当然といった態度は少しおかしいと思います。

きっと皆は普段通りの対応をしたのでしょうが、心は憤りで煮えたぎっていたことでしょう・・・。

登頂を断念して東京に戻ってきた皆さんになんと声をかけたらいいのか、本当に今回は困りました。

部屋の隅にたまるホコリからのビジネス思考

2014.07.25

先週部屋に掃除機をかけている時に思ったことがあります。

部屋の真ん中にはほとんどホコリはたまりません。

たまっているのは部屋の隅です。

そのホコリを取れば部屋がきれいさっぱりした気持ちになります。

つまり「部屋を掃除する」というのは部屋の中心だけに掃除機をかけるだけではなく、部屋の隅までしっかり掃除機をかけてホコリを取り除く事です。

でも、なかなか隅のホコリまで気がつかなかったり、取り除かなかったりするものです。

ビジネスの世界もそうなのでしょうね。

人が注目するところにはビジネスチャンスがあり、そこに多くの会社が集まってきます。

そのためこの分野は華やかに見え、多くのサービスや技術革新が起き、にぎわいもあり、儲かるチャンスも出てきます。

しかし、そこで企業が勝ち残っていくことはとても大変なことです。

では、勝ち残っていくためにはどうすれがよいのでしょうか?

人が何かを求めようとすると、一方ではそこに必ず何かトラブルが発生するはずです。

何故なら100%満足ということはめったにありえないからです。

つまり掃除で言えば部屋の隅にたまるホコリと同じです。

そのトラブルの原因を掘り下げ、そこに解決策を見出すことで、さらに今よりも良いサービスや製品を提供することが出来るのです。

ですから、常に部屋のスミのホコリに気を配っていくことで勝ち残ることができ、自社のブランドをしっかりと構築していけるのでしょう。

だからこそ、こういった目立たない対応や行動があって素晴らしいサービスを提供でき、皆さんに喜ばれ続けるのでしょうね。

その一言に幻滅

2014.07.18

先日久々に今まで尊敬していた先輩に会いました。

私よりは10歳以上年上で、家柄も立派な方で、大きな会社の役員をされ、その後、ある大きな組織の理事を任されている方でした。

酒を飲みながらお話しを聞いていたら「もう僕には学ぶことがなくなったよ。」と言われました。

酒の勢いがあったせいかもれませんが、真剣に聞いていた私にとってはその一言は興ざめでした。

なぜなら「人間はいつまでたっても勉強だ。」ということを心に納め、間違ってもそういった言葉は言えないと思っていたからです。

私達は日々いろいろな欲望を持って生きています。

もう少しお金があったなら、もっと若かったなら、もう少しきれいだったなら、もう少し背が高かったならと、全ては満たされない中に生きています。

でも、もし、こういった望みがかなえられ「もう自分には望むものがない」というようなことが起きたなら、本当に幸せな人生が送れるのでしょうか?

人間の自然な姿は欲望の塊だと思っています。

自分の望みが達成したら、新たな望みが生まれるのが当然と思うのです。

今まで行ってきたことを、更に大きな分野へと広げたり、深く研究することもよいでしょう。

あらたな目標を掲げ、例えば、「宇宙に旅行してみたい」「ピアノが素晴らしく弾けるようになりたい」「何かを発見したい」などがあってもいいのではないでしょうか。

なのに、「もう僕は学ぶことがなくなった」など、なんと情けない言葉なのでしょう。

視野が狭い発言なのでしょうか?

彼への尊敬の気持ちが一気に吹き飛びました。

自分にとって到達できた場所は、更に卓越した人にはそれはほんの入り口に過ぎないのです。

世界にはすごい方がおられるものです。

そのことは歴史が教えてくれます。

つまり、いつまでたってもゴールにたどり着かないその不満が、実は我々を幸せにしてくれているのでしょうね。

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