ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

過剰なサービス

2012.09.14

今週の新聞に「夫婦間においていやだと感じることは何?」と、いったアンケート結果が載っていました。

1番は「無口なこと」、そして2番は「衣類などを脱ぎっぱなしにすること」だそうです。

確かに本来あるべきところに物が収められていなかったり、物やごみが散らかっていたりするといやですね。

よく理解できる結果です。

そういった記事の載っていた新聞を、ホテルのレストランで朝食を取りながら読んでいました。

朝食はビュッフェ形式でしたので、何回でも好きなものを取りにいくことができます。

お皿にはまだ少し食事が残っていたのですが、席を立ってミルクを取りに行き戻ってみるとお皿がありません。

片付けられてしまっているのです。

まだ皿には4分の1ほど食事が残っていて、ましてや新聞がテーブルの上においてあれば、まだ食事中だと理解できると思うのですが、片付けられています。

これって行き過ぎたサービスですよね。

皿の上にはまだ自分が食べたいものがあったのに・・・

皆さんの中にも海外に行って、こうした経験は何度かあるのではないでしょうか?

でも、ビュッフェですからまた取りに行けばよいのですが、どうも気が進みません。

それは、ユニセフの宣伝ではありませんが、世の中には十分な食事が取れずに毎日おなかを減らしている子供たちが山のようにいるのに、「食べられるものがこうやって自分の意思でなく捨てられてしまったのだから、再び取っても悪くないのだ」と考えるのはどうも許せないのです。

いやなのです。

こういった子供たちのことを考えるとできないのです。

多分、このような事が起こるのは、皿の上に多くの量を残して帰ってしまう人が多いからなのでしょう。

実際、周りを見ると子供が食べきれないほどの量を取ってきて(親が取ってきているのかもしれませんが)たっぷり食べ残しのあるお皿がいくつか見えます。

親もこういった状態を見てなぜ平気なのでしょうか?

私には理解できません。

現在、世界的にエコ社会作りと言っている中に、我々の生活でもマナーやサービスを見直せばすぐにできることが、食事の世界でもたくさんあるように思います。

受精卵の選別

2012.09.07

赤ちゃんがなかなかできなくて、悩む方は私が思っている以上に多いようです。

それを感じたのは本屋にいった時、ある雑誌が「不妊」における特集を出していたからです。

つまり、需要がなければ、出版社はこういった特集をしないでしょうから、意外に多くの方が悩んでいると知ったわけです。

不妊治療の対象には、体外受精といった人工授精による方法がありますが、受精卵は大きな染色体の異常や遺伝性の病気だとわかっていない限り、着床前受精卵検査をおこなってはいけないことになっています。

しかし、最近それを行った医師がいたということで問題になりました。

皆さんはこれをどう思われたでしょうか?

つまり現在の規定は受精卵の生命力までの確認のみであって、問題がなければ医師は着床をし(体に戻すということ)、後の経過は母体に任すといった考え方です。

もし、これで流産した場合は母親の精神的・肉体的ダメージは大きいです。

それが数度も重なればもっとつらいものとなってきます。

そういう意味で母親のことを考えれば受精卵の内容を確認して、着床しやすい受精卵を選別する、つまり着床成功率を高めるためにも良い受精卵を選ぶということは医師として当然のことと考えます。

一方、生命といった点から考えれば、受精できた時点で生命の誕生です。

大きさや時間になどには関係なく新たな人間がこの世に存在したことです。

そのことは生命の尊重といった点を考えますと、人間がその生命の行く手に手を出してよいのだろうかといった問題が起きます。(ただし、確実に染色体の問題などがある場合は除きます)

すべての受精卵が同じ環境におかれ、どの受精卵が無事に成長していくかは、それらがもつ生命力そのものの戦いですのでから、自然の掟だと思うのです。

第三者(つまり医師)の知識と真心により母親のことを思って受精卵が検査(選別)が、されていくことは生命の尊重といった点から、はたして正しいのでしょうか?

両親共に遺伝子に異常のない体なのに子供ができない。何度も流産する。それは何故か?遺伝子の異常が生命の誕生の際にどういうわけか起きるのであれば、それは突然変異というしかありません。

子供を授かりたいという気持ちは、特に女性の場合は自分の体内で子供が育ってくるのですから男性にはわからない喜びがあると思います。

その喜びを奪わないためにも医師として応援できるようにと着床成功率を上げたいといった気持ちはとってもよく理解できます。

しかし、生命が誕生する際にも戦いがあり、また誕生した後においても戦いがあるというように、生命は誕生しようとした時から常に戦いが始まっている事を考えると、やはり、生命の行く手が自然の環境である限りは、第三者がはたして手を加えていいのか疑問を持ちます。

では、親が判断した場合はどうなるのでしょうか?

遺伝子の異常であれば、どういった子が生まれるかは予想がつきます。

そしてその生命に対して親がどこまで責任を持って育て、保護していくかにかかってくるでしょうから、現実の社会を直視すれば深い判断とつらさを伴うものの、決断はできると思います。

しかし、そうではなくその生命力の強弱となった場合においてはどうでしょうか?

これは「神のみぞ知る」としか言いようがありません。

この問題は非常に難しい問題ですが、私としては受精というチャンス作りまでが人間が手を出してよい範囲であり、それ以降はやはり自然の力に「任せる」べきだと考えています。

やはり、手を差し出してはいけない世界があると思うのです。

いつも同じと思ってはダメ

2012.08.31

最近は韓国出張が多いので焼き肉を日本ではあまり食べなくなりました。

しかし先日、遠くに住んでいる友人が東京に出張に来るというので、時間があったら夕食でもしようということになり、久しぶりに(1年ぶり位?)私の行きつけの焼肉屋に行きました。

ここの焼肉屋の店主はとても感じがよく、料理も早く出してくれ値段も手ごろ、更に毎日何かしらの品が半額サービスとなっているので、私のお気に入りの店の一つでした。

久々に友人に会ったので、「たまにはちょっと高い肉でも注文しよう」ということで、奮発して特上カルビ4皿と他の肉を3皿。

更にサラダやキムチ・ナムルそしてワインを一本注文しました。

そして、いつものごとく「出てくるまではまずは生ビール」と、いうことで冷たいビールを飲んで待っていますと、注文の肉が出てきました。

しかしここで私の予想に反したことが起きました。

注文したのは特上カルビですから適度に霜降りのはいった柔らかい肉ではあるはずです。

しかし、出てきたのは確かに見事な霜降りではあるのですが、脂の量が多すぎるのです。

赤身がない。

その量たるや脂肪:赤身が4:1といった感じです。

「これでも本当に特上なの?」といった気持になりました。

以前にも祝い事で来た時に同じ肉を食べたのですが、こんなに白くはなく、とてもおいしかったので、今回はなぜこんな肉なのかと店長に聞こうと思いましたが、あいにくその時は店に不在。

たとえ店員に尋ねても、「店長に尋ねないとわからない」と、いった返答になるのでしょうから待たされるだけです。

「それじゃあ仕方がないな。まぁ、おなかも減っているし、まずは食べてみるか・・」と、いうことで肉を網に置き焼きだしました。

しかし、焼けた肉を食べると肉は柔らかいもののあまりにも油っこく、明らかにこれは注文した肉のレベルではないはずです。

私は2枚食べましたが、もうそれ以上は食べたくないといったほどの脂の多さです。(こんなものを食べたら今まで油の摂取をセーブしていたのが全く無駄となってしまいます)

結局、頼んだものすべて出されたのですが、何も食べずにビールとこの肉を2切れ食べてさっさっさと出てきました。

しかし、実にひどい内容の肉であるのに、払った金額はいつもの3倍。

あぁ、なんと馬鹿な私。

久々に入ったのだから一度に頼まなければよかった。

でも、一体どうしてこんな肉がでたのでしょうか?

以前、店長が「最近はお店も客の入りがよくない」と言っていたので、不景気のために肉の質を落としたのだろうか?

それとも、たまたま自分達の注文した肉が脂の多い部分に当たってしまったのであろうか?

あるいは、店長が替わったのかな?などと色々と思いましたが、あれではもう二度と行きたくありません。

せっかく期待して入ったのに実にがっかりでした。

でも、ここで怒っては久々に会った友人との話しにも水を差すことになるので、彼も気持ちがよくないでしょうから、ぐっと我慢です。

「今日は失敗したな」と、一言小言を言って軽く流し、また他の店を探しまわったという、実にお金も時間ももったいない事をしてしまいました。

でも、これはいつも同じだと思っていた自分がいけないのですね。

物事はいつも変化しているのだと思わなくては。

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