ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

受精卵の選別

2012.09.07

赤ちゃんがなかなかできなくて、悩む方は私が思っている以上に多いようです。

それを感じたのは本屋にいった時、ある雑誌が「不妊」における特集を出していたからです。

つまり、需要がなければ、出版社はこういった特集をしないでしょうから、意外に多くの方が悩んでいると知ったわけです。

不妊治療の対象には、体外受精といった人工授精による方法がありますが、受精卵は大きな染色体の異常や遺伝性の病気だとわかっていない限り、着床前受精卵検査をおこなってはいけないことになっています。

しかし、最近それを行った医師がいたということで問題になりました。

皆さんはこれをどう思われたでしょうか?

つまり現在の規定は受精卵の生命力までの確認のみであって、問題がなければ医師は着床をし(体に戻すということ)、後の経過は母体に任すといった考え方です。

もし、これで流産した場合は母親の精神的・肉体的ダメージは大きいです。

それが数度も重なればもっとつらいものとなってきます。

そういう意味で母親のことを考えれば受精卵の内容を確認して、着床しやすい受精卵を選別する、つまり着床成功率を高めるためにも良い受精卵を選ぶということは医師として当然のことと考えます。

一方、生命といった点から考えれば、受精できた時点で生命の誕生です。

大きさや時間になどには関係なく新たな人間がこの世に存在したことです。

そのことは生命の尊重といった点を考えますと、人間がその生命の行く手に手を出してよいのだろうかといった問題が起きます。(ただし、確実に染色体の問題などがある場合は除きます)

すべての受精卵が同じ環境におかれ、どの受精卵が無事に成長していくかは、それらがもつ生命力そのものの戦いですのでから、自然の掟だと思うのです。

第三者(つまり医師)の知識と真心により母親のことを思って受精卵が検査(選別)が、されていくことは生命の尊重といった点から、はたして正しいのでしょうか?

両親共に遺伝子に異常のない体なのに子供ができない。何度も流産する。それは何故か?遺伝子の異常が生命の誕生の際にどういうわけか起きるのであれば、それは突然変異というしかありません。

子供を授かりたいという気持ちは、特に女性の場合は自分の体内で子供が育ってくるのですから男性にはわからない喜びがあると思います。

その喜びを奪わないためにも医師として応援できるようにと着床成功率を上げたいといった気持ちはとってもよく理解できます。

しかし、生命が誕生する際にも戦いがあり、また誕生した後においても戦いがあるというように、生命は誕生しようとした時から常に戦いが始まっている事を考えると、やはり、生命の行く手が自然の環境である限りは、第三者がはたして手を加えていいのか疑問を持ちます。

では、親が判断した場合はどうなるのでしょうか?

遺伝子の異常であれば、どういった子が生まれるかは予想がつきます。

そしてその生命に対して親がどこまで責任を持って育て、保護していくかにかかってくるでしょうから、現実の社会を直視すれば深い判断とつらさを伴うものの、決断はできると思います。

しかし、そうではなくその生命力の強弱となった場合においてはどうでしょうか?

これは「神のみぞ知る」としか言いようがありません。

この問題は非常に難しい問題ですが、私としては受精というチャンス作りまでが人間が手を出してよい範囲であり、それ以降はやはり自然の力に「任せる」べきだと考えています。

やはり、手を差し出してはいけない世界があると思うのです。

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