ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

エコ活動は贅沢から生まれた

2009.07.10

最近「エコ」がやたらとテーマになっています。

産業自体がエコを推進することにより、自然を大事にする会社姿勢をアピールしているようにも思われます。

これが、本当に自然を大事にしたいために行っているのか、それとも国からの強制により行っているのか、はたまた会社成長のために行っているのかはわかりませんが、エコ活動は概して良いことだと思っています。

「エコ」を目指すという事で日本企業は大変だと言っていますが、本当にそんなに大変なのかな?と時々思うことがあります。

それは今までの我々の生活が贅沢すぎたので、それをキープしての行動を起こそうとするからなのでしょう。

だから、「企業は国民に対して少し今まで贅沢な部分があったので、この点を改めました。このため、もしかすると皆さんに今までと比べやや不便をかけるかもしれませんが、お許し下さい。しかし、これにより地球に対し、あるいは資源に対し○○といった貢献ができますので」と、いったメッセージを伝えても良いと私は思うのですが。

これこそ、地球人がこの美しい地球を守るために皆で貢献している姿と思うのです。

こうは思うものの、やはり贅沢がしみ込んだ生活はそう簡単には落とせないもの。

なかなか、その考えを皆に納得いただくことは大変な事なのでしょう。

つまり、「エコ」という言葉は贅沢をするからこそ出てきた言葉のように私には感じるのです。

例えば、よくアフリカやアマゾンの原住民生活のTV番組がありますよね。

彼らは食生活で必要以上の食料を取ったり、動物を殺したりしません。

ゴミもほとんど出ることなく、皮はテントや腰巻に使用し、骨は串や矢じりに使用しています。

つまり、資源を無駄なく使っています。

確かに獲物を取るのは大変だから、そうせざる得ないという点はあるのかもしれませんが、神から与えられたこの自然の生き物の命を大事にしているからだと思います。

これが無駄にしないにつながっているのでしょうね。

それに比べ、先進国ではマグロを食べるとなれば(大トロ)(中トロ)(赤身)といったように好きな部分が食べられます。

これはやはり無駄というのではなく、贅沢な行動でしょう。

そして、自分の好きなものを食べてばかりいると食の偏りが起こり病気になる。

一方、いわしを頭から丸ごと一匹食べるとすべての栄養が取れ、栄養バランスがよく健康にも良い。

これってやはり贅沢をせず、無駄を省くことにより起きている食生活行動ですよね。

つまりこの行動そのものがエコの行動ではないのでしょうか。

車を使わずなるべく歩けば排気ガスもなくなりますし、自動車もそれ程、大きなエネルギーを求めないのであれば、多くガソリンを使うこともなく、需要も少なくなり、炭酸ガスの排出量も少なくなるはずです。

つまり車を使わない。

タクシーや自家用車は使わない。

そのかわり皆が公共交通手段を主として使う。

これもエコへの一役ですよね。

「エコへの貢献」ということを考えてみると、案外、簡単な事で必要以上に無駄をしないということに他ならないことではないのかな?

やりすぎると「どけち」や「みすぼらしい」というふうになってしまうから、そこまではする必要ないですが。

我が母校の閉校

2009.07.03

2009年6月28日。

私は卒業した高校へ来ていました。

正門を入って1kmほどのプロムナード。

左右には20m以上に大きく育ったメタセコイアがきれいな緑の葉をつけてそびえたっています。

まさに「冬ソナ」の初夏バージョンといった感じ。

その小枝からこぼれる光を浴びながら私は高校時代を過ごした寮や校舎を見ながら懐かしさを胸にゆっくりカメラ片手に歩いていました。

ここは都立秋川高等学校。

その閉校が今年6月30日に決まり、その地は今後、商業地区として生まれ変わる事となりお別れ式が開催されたのです。

私はこの高校を第7期として卒業、その後34期まで続きました。

その間、三宅島噴火の際は島の小学生から高校生にいたるまで、すべてここで受け入れをおこなった事は世間でも知られている事と思います。

なぜ、高校の話をするかと言うと、この高校は非常に特徴があった高校であり、少しでもその良さを皆さんに知ってもらいたかったからです。

まさに私が熱き青春を送った場所なのです。

さて、この都立秋川高校は東京の西のはずれにあり、1965年に都立の全寮生高校として開校致しました。

海外に住んでいるが日本で教育を受けたいといった者たち、帰国子女、あるいは教育環境が十分でない僻地の者たちのために作られた特殊な学校です。

ですから、入学する者たちも様々。

日本語がうまく話せないもの、一般の日本人とは感覚の違った者たちが日本のみならず世界中から集まりますから、やはり変わった刺激と本当に面白い生活が送る事が出来ました。(但し男子校)

イギリスのパブリックスクールを模範に文武両道を目指し、グランドも3つ。

構内には職員宿舎・保険病棟・700名収容の食堂・50人風呂・テニスコート・体育館・武道館・相撲場・プールと施設とすべてが完備されています。

生徒は全員、運動部に所属することが義務づけられています。

また、学習時間も決められており、毎日19:30から22:00まで机につくことになっています。

しかし、そこは大食家の若者たち。

夕食を食べてもすぐおなかが減ります。

こういう時のために20時から21:30までうどん屋さんが来てくれます。

これを食べに行くことは例外的に許されていましたので、私はお腹がすいたといっては友達を誘い勉強をさぼってよく食べに行ったものです。

朝の6時は起床ラッパ(ラッパといっても私の時代はすでに生から録音にかわっていまいましたが)で起床。

そして、学校を終えても消燈の11時まで、365日3年間団体生活が行われます。

ですから、皆なんでも知っています。

すべて人間性がばれてしまいます。

そして、悲しいこと、つらいこと、そして楽しいことすべて皆で分かち合い、あるいは乗り越えてきました。

親が近くにはいませんからね。

そういった、一般の高校生が体験できないほどの多くの思い出をもった卒業生たちがこの最後の別れに母校に集まったのですから、久々の仲間との再会の喜びの陰に、社会変化にともなうこの閉校はいかんともしがたい悲しみが漂い、つらい気持ちで満ちていました。

閉校セレモニーを終え校旗の降旗とともに歌ったなつかしの寮歌。

校歌は忘れても寮歌は忘れません。

力一杯歌いました。

歌は3番まで歌は続きますが、いかんせん37年前のこと。

すでに一部の歌詞を忘れてしまった私は1番を3回くり返しました。

でも、うれしかったなあ〜。

なつかしい思い出が走馬灯のように浮かぶとともに、悲しみがわきあがってきます。

本当にすごい最高の高校でした。

こんな学校はないというほどの思い出をたくさん創ってくれた学校でした。

まさに私の青春。

入りたくて、入りたくて入った学校でした。

今後もこのような全寮制の学校が出来、子供の性格さえ合えば、是非とも入学させたいと思えるそういった学校が出来たら皆さんも子供たちに教えてあげて下さい。

タイの住宅事情

2009.06.26

友人がマンションを購入したいというのでバンコックで販売しているマンションのカタログを2ヶ月ほど前の出張の際に友人に持って帰りました。

彼はこれを見て「思ったよりも高いんだ。90平米で2000万円くらいか。日本の物価で考えれば8000万円くらいの感じかな。でも、考えて見れば日本ではこの値段では決して都内では買えないけどもね・・。」といっていましたが、今週タイの為替レートは日本円100円に対し34.63。

彼にカタログを渡した時が38.3でしたから日本円で払うとすれば10%価格が上がっているわけです。

つまり2000万円であったものが2200万円に200万円もアップするのですから驚きですよね。

彼もその時は2000万円はちょっと高すぎるなと考えているようで、ためらっていたようですし、またタイの経済が鈍化していることもあって、もう少し販売価格の値下げが起きるだろうと思っていたのですがこれが、為替によっておじゃんとなりました。

貿易をやらない者にとってはあまり為替は日頃気にする必要はありません。

強いて言えば海外旅行の時ぐらいで、日常品の購入においても為替の影響を考えながら買われる方もあまりおられませんよね。

ですから、わずか2ヶ月ほどの間に200万も動くと言ったことは彼にとってはビックリ。
あの時買っておけばよかったと深い後悔の念がさすようです。

その夜は彼が私に一杯おごってくれました。「加藤の飲み代などは為替の変動においてはたいしたことないさ。オレがおごるよ。」と。

ずいぶん今回の件でショックを受けた彼でした。

「まだ、買うと決めたわけでもないのだから、そんなにがっかりすることもないと思うのだけど・・」と思う私でした。

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