ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

飲食業をやりたいのなら

2015.10.09

私の友人に自分の店(バーやレストラン)を持ちたいというものが幾人かいます。

そこには店を持って時々友人らを呼び、おいしい料理や飲み物をふるまい、楽しい時間を送りたいといった気持ちがあります。

そういった話を聞きながら、思うことがあります。

私の自宅近くには多くの飲食店があります。

でも店の入れ代わりも激しいです。

新しい店が開店して、お客さんも意外に入っていると思っていたら、半年ほどで急に閉店となってしまうような店も少なくはありません。

これはきっと、人件費や家賃といった固定費や造作費用をまかなうほど利益が取れなかったのでしょう。

閉店する様を見ていると、不景気でも強いといわれる小さな飲食店の経営でさえ、現実はかなり厳しいということを感じさせられます。

一方では夫婦と子供たち、あるいは兄弟や姉妹に加えアルバイト1人ほどで焼き鳥屋や小さな居酒屋を地道に長年やっている店もあります。

店はテーブルとカウンターあわせて20人にも満たない小さな店で、メニューも家庭料理的なものが主です。

こういった店では多くのお客を求めるのではなく、安定した経営を求め、無理はせずに自分たちのできる範囲で頑張っているような気がします。

作れる料理の品数や量はキッチンの大きさからも限られており、店の閉店時間も22時、材料の仕入れ量も一定で、材料がなくなったらそこで終わり、新たに材料を買出しに行くことはないといった具合です。

値段も安い店と高い店の中間ぐらいの値段をつけています。

安値とすることで多くのお客を集め、これによって自分の手が回らずにサービスや料理の味が落ち、お客さんを減らしてしまうことはしたくないといった考えなのでしょう。

自分の生活が守れるように安定した経営が行えるように、一元客でなく何度も通ってくれるような固定客をたくさん持てるように、おいしい料理作りに励んでいきたいといった気持ちを感じます。

こういった経営ができれば人件費が外にでていきませんから、厳しい時でもなんとかやっていけるのでしょうね。

飲食業をやるのであれば人件費をまず抑え、自分にアイデアがありそれを自分の能力である程度行うことができ、料理作り(つまりシェフ)が出来ないとやはり飲食業は難しいような気が私にはします。

ふと不思議に思った事「何故、下を見ると怖いの?」

2015.10.02

先月のシルバーウィークで多くの日本人が海外に出かけたようです。

私もホンコン経由でバンコクに飛びましたが飛行機は満席に近い状態でした。

国内旅行であっても、どこにいっても交通渋滞に会うし、と言ってこういった連休を使わないと海外旅行は難しいし、この時期を逃せばいつ行けるかわからないなどといった理由で、やもおえず旅行なさっているのかもしれませんね。

せめて訪れたところではいい天気であって、楽しんでもらいたいものです。

さて、当たり前のように起きていたことでも以外に気がつかないことがたくさんあります。

そういったことで最近ふと気が付いたことがあります。

それは飛行機の上から下を見ても何も怖くわないのに、高いビルから下を見ると怖いのでしょうかね。

その理由は風が吹いているから?

周りに触れるものがないから?

それとも普段の生活では高いところから下を見るようなことをしていないから?

等と、どういった理由からなのでしょうか?

皆さんは考えたことありますか? 

実際私も高いところは嫌いです。

でも、高いところに上って下を眺めたいと思います。

しかし、いざ、上ってみるととてもびくびくします。

脚がぶるぶる震えます。

若い頃、大学を卒業し、会社の研修でコンビナートの中にある廃ガスを燃やす煙突(30m以上)へ上るよう指示を受け、登った事があります。

その時も脚がぶるぶる震えましたね。

鉄の梯子をしっかりと握り足を踏み外さないように、注意しながら登ったのを覚えています。

周りを見ると恐ろしくて、ずっと煙突の表面だけを見て下も周りも見ないようにして登りました。

上に着くと左右に20cmほどぐらぐら動いていて、実に怖い事怖い事、今でも忘れませんね。

でも、登れば今度は降りなければなりません。

これが登るよりももっと怖かったですね。

今となってはいい思い出でですがね。

このように、上から下を見る場合でも非常に恐ろしいこともあれば、条件によっては、なんの恐怖を感じない事もあり実に不思議です。

一方、この逆のことを行ってみたらどうでしょうか?

上を眺めてもまったく恐ろしくありません。

つまり、下からどんなに高い(空や星)を見ても怖くはありません。

不思議ですよね。

つまり、下を見ることから来る恐ろしさは、意外にも見る距離が原因で起きていることではなさそうですね。

原因は自分にある経験(記憶)から来るものなのでしょうか?

つまり、この高さから落ちたら死ぬとか危ないといった事が、恐怖感を引き起こすのでしょうか。

飛行機の場合は「落ちることはめったにない安全な乗り物」という事で安心していて、怖くないのかもしれません。

よって、高さからくる恐怖感も全ては自分の気持ちと経験次第で解決できることなのかもしれません。

単にこの恐怖感を乗り越えられるような機会がもてなかっただけなのかもしれませんね。

シリア難民に対して想う

2015.09.25

ご存知のようにシリアから多くの難民がヨーロッパに流れ込んできています。

各国は人道的に受け入れたものの、両手を挙げて包み込んであげることはできない様子がTVで報道されています。

地中海の航海中にすでに3000人近くの人が命をなくしています。

このニュースを聞きながら、どうやって彼らを助けてあげればいいのか、私も悩みます。

受け入れたくてもその受け入れ国によって経済・治安・宗教・施設・福祉の面からできないことはたくさんあります。

受け入れには費用もかかりますし、この費用は全て国民からの税金でまかなわれるわけですから、国民にして見れば、「今自国においても苦しい人が多くいるのに、なぜ国民を助けずにシリア難民を助けるのだ!」といった不満の声も出てくるでしょう。

難民が自国に長く留まれば、生活補助や仕事や教育の提供は必要となりますが、失業率が高い国にとっては国民の仕事の場を奪うことになり、失業中の国民にとって問題を引き起こします。

更に難民として来る人が、すべて内乱から逃れるために来ているのかどうかをどのようにして判断すればよいのでしょうか?

中にはイスラム過激派などが混じっている可能性だってあるでしょう。

毎日、このニュースを見るたびに国境の前で足止めされる多くの人々、幼児を抱く女性、泣く子供たちの映像を見ながら、本当につらく思います。

私たちが行えることはないのでしょうかね?

私たちには天災と同じような事しかできないのでしょうかね?

広大な国土を持った中国やロシアは積極的に何か支援すべきではないでしょうか?
アジアの平和を乱すような海洋建設・進出を行っている中国も、もっと人道的な行動をとるべきではないでしょうか?

このようなことをいくら言っても、難民問題の原因はシリア国の内乱にあるわけですから、この問題を解決しない事には難民は増え続けるだけです。

その上、USAとロシアでその内政原因のとらえ方が違う点で、他国が容易に口を出せない問題がありますよね。

今、ヨーロッパはまさにウクライナ問題、ギリシャ救済問題、シリア難民問題と、大きな問題を抱え悩んでいます。

また、中国の軍事増大による秩序の不安定化、中国のバブル崩壊による世界経済への低迷、先進国の高齢化、地球の温暖化、世界各地で起こる天災などと、世界は数多くの不安に渦巻いております。

早く一つでも安定してほしいと願います。

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