ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

考えなくなった日本人

2015.11.06

毎度ぼやいていることですが、最近は考えない人が増えたような気がします。

道ではスマホばかり見て歩いている人がいます。

向かいから歩いて来る人がいればぶつかってしまうことは明らかです。

そういう事がわかっているのであれば、道の脇を歩いて迷惑かけないようにすべきです。

無論、スマホを見ながら歩くこと事態が無礼な行為というべきですがね。

私が理解できないのは「なぜ、こういった無礼な行為をするか?」なのです。

それを無礼な行為だと思わないのでしょうか?

スマホを見つめるといった行為は、自由な行為だから許されるべきだと思っているのでしょうか?

それとも、全くそういった行為の良し悪しを考えるといった事態、思いもしないのでしょうか?

もしそうであれば、これは日本の国に最悪の人間が育ってきていることを意味していると私は思っています。

では、「なぜ、そうなってそうなってしまったのか?」

情報化社会の発展でインターネットへの依存度が高まり、このことが若い者たちの思考能力やコミュニケーション能力を低下させたのが大きな原因だと私は思います。

さらに、ゆとり教育といった事で授業時間を少なくする一方で、そのゆとり時間を使って人間性を高める・世界に通用する能力を高める・社会への参加を考えさせる、などといった事への教え(導き)がなされなかった事とともに、単に「ゆとり」の時間をつくるといった行為だけに終わったためではないでしょうか。

そのため、「のんびりとした時間を過ごす」という事だけにこの貴重な時間が浪費されてしまったのだと思います。

また、授業事態にも問題があるでしょう。

日本の学校で教わる授業のほとんどは教科書を基に主に行われますから、「覚える授業」つまりは「記憶する授業」です。

これならば、私は学校に行かなくてもよいのではないかと思います。

教科書を毎日家で5回読む事で十分のように思っています。

わざわざ学校まで行って記憶する授業を受ける必要がどこにあるのでしょうか?

いまの教科書は何のためにあるのでしょか?

私には全く理解できません。

私が学校に求める教育とは「考える教育」です。

「なぜだろう?」といった疑問を子供たちにもたらす教育です。

これだけで十分と思います。

つまり、その疑問を子供たちが徹底的に考え調べ、自分としても答えを出せるように導く教育です。

私はこういった教育が日本で行われることを心から期待していますが、皆さんはいかがでしょうか?

こういった教育がなされてこなかったからこそ、スマホにくぎ付けの人が増えているような気がして仕方がありません。

敷地から出てきた物は意外なものだった

2015.10.30

私の家はマンションの高層階。

当初この地に住んだときは、遠くに見えるビルの赤い光が夜になるととてもきれいで「やはり東京の夜景は素敵だな」と感じていました。

また、この地区は昔の寺町だったのでお寺が多く、このため静かで緑も多くあり、部屋から眼下を見ると古い民家(昔の長屋のような家)が集まった一角もあったりし、新旧混じったこの地がとても好きでした。

ところが、ここ1年の間に新たなマンション建設がどんどん行われだし、狭い敷地に高いマンション(13階以上)が建ち始めました。

このため周りの景色も5年前と比べてがらりと変わり、だんだんと部屋からは緑が見えなくなり、コンクリートの建物ばかりが目の前に見えるといった具合です。

こういった景色の変化は皆さんもきっと身近に経験していることでしょう。

そういった中、眼下に見えていた古い民家の一画(10軒から15軒ほど)が全て壊され、その敷地に8階建てのマンションが建つことになりました。

この2ヶ月間はその取り壊し作業が朝から夕方までずっと続いていました。

一度にこれだけの民家が壊されるのですから、もしかしたらこの土地は借地契約で家が建てられていたのかもしれませんね。

ともあれ、なつかしさを秘めた古家が壊されていくことはさびしいものです。

住まれていた方の多くはお年寄りの方でしたが、きっと50年以上は住まれていたのではないのかと思っています。

そういった都会の真ん中で行われていく古家の取り壊しと整地作業を日々見ていました。

そんなある時、意外なものが出現しました。

それは「井戸」です。

「こんな都会の真ん中に井戸があるなんて!」とビックリです。

昔はこの地域は徳川の家臣の武家屋敷が多くあったところと聞いていますから、もしかしたらその時代からこの井戸が使われていたといったことも考えられますよね。

でも、ここにはマンションが建つことになりますから、きっとこれも埋められてしまうかと思うと非常に残念です。

私としてはこの水を使った日本庭園でも造ってそこに鯉でも泳がしていただきたいですね。

IMG_0480

IMG_0568

やはり海辺の食堂はいいですね

2015.10.23

先々週は韓国でした。

今回の仕事には時間がかかるだろうと予想していたのですが、思ったよりも問題なくスムーズに事がすすみ時間が出来たので、海を見に行くことにしました。

この時期は韓国でもマツタケの季節ですから、「市場に安く出回っているかな?」と思っていたのですが、あまり見ることがありませんでしたので、海沿いのレストランに行き、海を眺めながらコーヒーでも飲もうかと思ったわけです。

しかし、渋滞で海に着くまでに時間が思ったよりもかかり、夕方になってしまいました。

そこで、この時間になったならコーヒーではなく、早目の夕食でもとることにして、海辺のレストランに入ることにしました。

おいしそうな海産料理を目指し海辺を歩いていますと、浜辺の端の奥まったところに6個ほど生け簀を置いた食堂がありました。

脇ではおじさんがイイダコを採るためのわなを作っていました。

私も始めてここでイイダコ取りの仕掛けを見ましたが、蛸壺ではなくて自然の貝殻をつかってとることを初めて知りました。

この仕掛けを海に沈め、数日後に引き上げるのでしょうが、この貝殻の中に餌は入れるのかどうかはわかりませんが、多分入れなくてもいいのでしょうね。

イイダコが身を守るための棲家として、この貝殻に入るのでしょうから。

一方、食堂の生け簀にはあまり魚はおらず6種類ほどでした。

でも、私の好きな「アナゴ」がいました。

日本で食べるときは寿司屋で、二切れほどのネタをあぶってもらい、塩を少しかけて食べますが、蒸されていますから柔らかくおいしいですよね。

一方、今回「アナゴを注文したい」と店の人にいったら「2匹からだ」といいます。

生け簀にいるのは太さ4cm、長さ50cmほどの大きなアナゴですから、2匹も一人で食べられません。

1匹でも多い位です。

そこで「1匹にしてくれないかい」と言いましたら、「1匹にすると値段は高くなるよ。半分の値段ではないよ。いいのかい?」というので「かまわないよ」といって注文し、海岸に面したビニールテントハウスの中にあるドラム缶テーブルの席で出てくるのを待っていました。(ドラム缶の中には炭をいれて焼肉ができるようなコンロが作られています。)

まもなくアナゴが3つに切られ出てきましたが。

その量は思った以上に多かったです。

これを網で焼き、頃合いを見て、焼き食べやすい大きさにハサミで切って塩をつけて食べましたがおいしかったですね。

でも、寿司ネタのように蒸していませんから肉には弾力がありました。

店主が「目の前の海で取れたものだからうまいよ」と自慢していただけに、油ののりもよかったです。

初めてアナゴを焼肉のようにして食べました。

アナゴはぬめりが強いので注文した後、失敗したと思いましたが、全く皮にはぬめりなどなく、とてもおいしいものでした。

しかし、この1匹でお腹は十分いっぱいとなり、他に何も食べることはできませんでした。

韓国にきたら是非食べてみてください。

でも2人で食べた方がよさそうです。

量が多すぎますからね。

このページの先頭へ