ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

人間として生まれてよかった!

2008.08.22

私がよく見る衛星TV放送に「Animal Planet(アニマルプラネット)」があります。

これは動物の社会やその習性を紹介するテレビ番組です。

これを見ながらいつも思うことがあります。

それは「人間は幸せだな」ということ。

放送を見ていると動物の世界においては周りはいつも危険だらけ。

それも命を失うほどの危険がうじゃうじゃしています。

例えば、場面はサバンナ。

ガゼルが群れをなして草を食べています。

向こうを見るとライオンがいます。

今はお腹がすいてないのか?彼らを襲おうとはしませんが、お腹がすいたら牙をむき襲い掛かります。

そういった、恐ろしい敵の前に彼らは生きて行かねばなりません。

これを人間の世界で言えば、

家を一歩出れば自分より何十倍も大きな体を持った人殺しがいるのです。

それもこちらをちらちらと見ている。

ふと、その人殺しは自分を追いかけてきてガブリと噛み殺すのです。

そして、息の根が泊まるまで喉にかぶり付き、果てには体をズタズタに引き裂いて食べるほどの獰猛な殺し屋なのです。

たとえ家の中で隠れていても、そこに居ることがわかればドアを打ち破って侵入してくるかもしれないのです。

そういった人殺しがうじゃうじゃと居るのです。

本当に考えただけでも、とても怖いです。

しかし、人間の世界においては動物社会のようなことはありません。

一般には他人が本能的に人を襲うことはありません。

安心して暮らせる社会が基本的に人間社会です。

だから、本当に自分は人間に生まれてきて良かったと思います。

最近、このような当たり前のことについて感謝したくなることがあります。

「ベストを尽くした」― 女子柔道、谷選手の言葉。

2008.08.15

今、オリンピックの真っ盛り。

タイいると日本と違い、現地でのオリンピック放送はタイ選手が出場する時間帯やその録画番組ばかり。

当然のことですが、日本選手の活躍を見ることができないのは非常に残念なことです。

でも、今の時代は大丈夫。

インターネットがありますからyoutubeなどで何度も観れますからね。

そういう中、12日までの試合結果で残念なことはやはり谷選手が金を惜しくも逃したことですね。

大きな大会で連続13回に渡り、金と銀しか取ったことがない谷選手には国民の期待が高かっただけに、このオリンピックで金を逃したことはとても残念でした。

たとえ、世界で第3位の銅メダルを取ったといえども谷選手には金メダルしか似合わない特別な選手と言った印象を持っています。

今回の試合内容を見ますと、さらに残念だなと思います。

柔道というと互いにしっかり組合って、立ち技、寝技の競い合いがあっての競技と思うのですが、今回は違いましたよね。

互いに相手選手にいい組み手を取らせないようにするがために、なかなか組み合えない。

谷選手は長身の相手に背中を捕まれないように気を使いすぎたことが、消極的行動として判定されてしまったという結果でしたよね。

組み合えば必ず勝てると言われるまでの実力のある世界NO.1の谷選手がこういう試合運びで終わったことは、彼女としても悔しくて悔しくて仕方がないことでしょう。

「なぜ、もっと積極的に出れなかったのか?」

と我々は悔しく思いますが、谷選手は違いますね。

ここまで頂点を極めた選手においては「ベストの行動をした結果がこれであった。」というコメントを出されていました。

それは金を逃したことは私たち以上に本人のほうが残念なのでしょうが、このような選手になると「ベスト」の意味がわれわれ一般人が考えるものとはもっと違うのでしょう。

アテネオリンピック後、この4年先の北京オリンピックでの優勝に向けて努力し続けた毎日。

また「3連続優勝という初めての快挙なるか?」との国民からの期待と金を取るという国民の思い、一方自分にしかわからない30歳を超えた年齢からみた体力(時間)との戦いなどといったことがあっての「ベストの行動した結果」というコメントの意味を私は非常に重く感じています。

これはまさにその試合においても、また今までの練習においても自分のできる限りのことはしたということで、これ以上のことは人間の自分としてはできないということなのでしょう。

何事にも目標を持てば結果があり、その目標がいかなるものであれ結果が出たとき、その良し悪しに関わらず、自分がそれに満足できるか否かであることを我々に改めて示唆してくれたものと私は思っています。

悔いを持たない、恨みをもたいない行動をとるということはいかに難しいことなのでしょう。

オリンピックはまさに我々にこれを教えてくれているような気がします。

谷選手、我々に銅メダルをプレゼントしてくれてありがとう!!

勘違いっていい事?

2008.08.08

猛暑が続いている東京。

外に少し出るとシャツは汗でベットリ。

横断歩道で信号を待つ人も、周りをキョロキョロ。

近くに日陰がないか?を探しています。

そういった日差しの強い今日この頃ですが、この時期人が集まるところと言えば「海」と「プール」。

でも、泳げない人にとっては嫌な場所ですよね。

私、いまは泳ぐのが好きですが。

実は、泳げない時期があって、友達が「プールにいこうよ!」と言うと嫌でたまりませんでした。

でも、急に泳げるようになったんです。その理由は・・・

泳げないのに泳げると勘違いしたんだけなんです。

小学校3年生の時、まだ流れるプールなどはありませんでした。

泳ぐところは海か川が一般的な時代です。

たまたま、父とおじいさんの田舎を訪れた時の事です。

そこにはきれいな川があって。

「気持ちがいいからそこで遊んでおいで。」とおじいさんに言われ、水中眼鏡と網を持って父と川に行きました。

川の中をのぞくとカエルがいて、私はそれを捕まえようと必死。

でも、泳げないので腰ぐらいの深さまでしか追えません。

そうした時、うっかり足を滑らせ体がドボン、川の中へ・・・

そうなったらもう大変。

手をバチャバチャ、足をバタバタ。

天地がひっくりかえったような慌て方。

学校で習った泳ぎ方を死に物狂いでやりましたよ。

するとやっと足がつくところにたどり着き、これで助かった。

時間ですれば10秒もなかったのでしょうが、自分としては必死でした。

すると父は私が足をすべられたところでじっとこちらを見てました。

二人の間は10メートルほど離れていました。

その時、私はふと思ったのです。

なんだ、「自分は泳げるんじゃないか」と。

でも、実際は違うのです。

川に流されただけなのですが、流れがゆっくりだったので、自分では泳いでここまでたどり着いたと勘違いしていたのです。

でも、これがよかったのです。

これがきっかけで自信ができて、その後は夏が来るのが楽しみになって、4年生からは学校の水泳の代表選手になっていました。

つまり、たとえ勘違いでもいいから。

自分ができると思えば何事もどんどん向上するし、好きになってくるということ。

だから、勉強も仕事もまずは簡単な事をどんどんやらせて、

「それができたぞ!」

という達成感を味わえばチャレンジ精神がわいてくるのが人間の心理だ思っています。

人間が「思ったことを達成したい!」という事においては、何事も一回では無理ですが、小さなこと、できる事からやっていけばいつかは達成できると思っています。

「できる!」という自信ある気持ちが何事も達成させるということです。

泳げないのに泳げると勘違いしたことは、私の人生に大きな影響を及ぼし、勘違いすることは時として非常にいい事を生み出すことを教えてくれたのでした。

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