ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

タイの屋台は楽しいよ。

2008.04.11

タイの住みやすさは世界的にも有名だが、その中に食の豊かさ・安さがある。

山の幸、海の幸、果物も豊富。

食にウルサイ日本人の胃を十分満足させてくれる。その上安いときているから最高だ!

例えば、街中の屋台に座り定食(ご飯に炒めもの)を頼めば100円。

そして、これを大衆的なレストランで食べれば200円。

さらに、ホテルで食べれば400円。

屋台価格を1とすれば、クーラーのきいたレストランでは2倍、そして高級な場所となれば4倍といった感じ。

だから、レストランの目の前で屋台を開いていても、レストランの者は何も言わない。

たぶん、お客を屋台にとられるなどと言った考えではなく、お客の種類が違うと考えているのであろう。

今日も私は朝食のため屋台へ。

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ホテルで食べる方が多いいが、たまには屋台で庶民の姿を見ながら食べるのも好きだからだ。

一般的に『屋台は汚い、お腹をこわす』などと思われがちであるが、私はそんなことはないと思っている。

炒めもの、湯でものであれば火が通っているから大丈夫と自分では思い込んでいる。

でも、ここで注意するのは水。

水だけはミネラルウォーターを持って行き、屋台で出される水は決して飲まない。

料理の注文方法はきわめて簡単。

屋台の店主に、台車の小ケースにかざられた食材をいくつか指差し、これを炒めてくれるようにジェスチャーするだけ。

その時に忘れてはならないことはあまり辛くしないように注文すること。

これを言わずに黙っているとタイ人の辛さに合わされ料理されてしまうので、日本人にとっては辛すぎ・汗をかきかきの食事となってしまう。。。

でも、これだけ多くの屋台が道沿いに並んで商売していると、自分の屋台に特徴づけないとお客が来ないのではないかと心配になってくる。

そこで私は馴染みの屋台のおじさんに『この店はタイで一番おいしいお米を使用しています!』と看板かけてみては。と言っておいた。

次回、どのくらいお客さんが増えたかどうかが楽しみだ。

世界のお金持ち。

2008.04.04

今から40年ほど前、子供の私にとってはアメリカ人はすべてお金持ちに見えた。

日本にいるアメリカ人はすべてと言っていいほど大きなアメリカ製の自動車を持ち、大きな家に住んでいた。

そして、子供たちはスクールバスやお母さんに車に乗せられてアメリカンスクールに通っていた。

我々といえばトコトコ歩いて学校へ行ったり、一般バスに乗るために道路の脇にあるバス停に友達とら並んでいたものだ。

また、彼らの飲むコカコーラも今となっては普通だが350ml入りの大きな缶入り。日本で我々が飲むのは細長い200ml。350mlなどは売っていなかった。

自宅の冷蔵庫も小学生以上の身長のある大きなもので、当時から冷凍庫がついていた。

そして彼らは毎週買い物も自動車で行って、モノの一杯入った大きな紙袋を6つ、7つも抱えて帰ってくる姿をよく見た。

夕食も大きな牛肉を焼いたり、冷凍食品を料理していた。

当時、私は肉といえば豚肉しか知らなかったのだ。

だから「ステーキ」とは豚肉を焼いたものもステーキと思っていたくらいだ。

ドッグフードも当時からあった。日本人の飼っているペットは食事で余ったものを食べさせていた時代なのに。

でも、勉強は違う。

彼らの家に行き、学校の本を見ると(英語はわからないので算数の本を見ていた、)なんとその簡単な事。

「まだこんなこと習っているの?」と思うほど簡単であった。

多分、日本の学校の方が2年は進んだ勉強をしていたため、「頭は俺たちの方がいいぞ。」と優越感を感じたものだった。

だから子供心に「日本人は頭がいいけど、お金持ちではないのだ。」と思っていた。

そして日本経済の発達とともに育った我々。

日本経済力が世界第2位に躍進する中、アジアの国々の人々、南北問題を生み出したソ連など、底意に住む人はテレビを通じては非常に貧しく見えたものだった。

しかし、最近は間違いなくこれは変わってきている。

BRICという言葉を肌で感じる。

※BRICとは、経済発展が著しいブラジル (Brazil)、ロシア (Russia)、インド (India)、中国 (China) の頭文字を合わせた4ヶ国の総称

アジアの高級リゾート地区に行けば、「こんな高いところにこの国の人がこれるの?」といったところに家族全員でバカンスにきている現地の人。

あるいは黒のドレスをきた中東の婦人たち。そしてなんといっても多くなったのがインド人とロシア人である。

以前はロシア人などはどこにいっても会うことはなかった。

しかし、最近は高級な場所(レストラン・ブティック・ホテルなど)に行けば必ずといっていいほど出会う。

ほとんどがロシアの中でもモスクワなる西部の方々である。

間違いなくロシアは変わってきている。新興金持ちが生まれてきていることをヒシヒシと感じる。

今、若者と話すとBRICが伸びてきているとほぼ言う。

これは一般情報から得た頭だけの知識。

やはり経済は自分の肌で感じるべき。

あえてその国に行かなくてもその勢いを感じさせるところはいくらでもあるのだから。

アジアからの看護。

2008.03.28

私の父は82歳。すこぶる元気。

見た目はまさに60歳台のアクティブシニアを象徴するといってもいい人である。

また、母もこの父に続けとばかりにこれまた元気である。

ともあれ両親が元気であることは子供にとっての何よりの幸せであるし、二人が病気と言ったこととは無縁であることを嬉しく思う。

一方、私と同じ年代の友人と会って出てくる言葉は、両親の健康の問題と自分の体の衰え。

まるで衰えていくことが中年の話題のようにさえ私には感じる。

「悪いけど俺をその話に入れないでくれよ。でも、奥さんの更年期の悩みの話しなら君らよりわかるから、相談にはのるからね・・・」といった具合である。

だから、彼らにとっては頼もしい友人?の一人であるようだ。

そういった話の中に出るのが特別老人福祉施設の話であったり、日頃の看護の悩みであったりする。

現在、フィリピンで審議されている日比経済連携協定が発効すれば日本へも2年間で400人のフィリピン看護師受け入れが始まる。

これよりも先行しそうな国はインドネシア。

英語圏であれば、間違いなくインドであろう。

もはや、これには歯止めがかけられない。

まさに看護は外人に頼るしかないといった時代が来るかもしれない。

フィリピンの経済は出稼ぎ者がいるからこそ成り立っているといわれている。

いままでは隣の香港などへの家政婦働き、そして中近東での建設事業などが主であったが、そのカトリックに根ざす宗教心からして、今後の看護分野への世界進出は国を挙げて進出してくることは明らかである。

しかし一方では、自国の医療体制が十分に行き届いてないのも事実である。

過疎地においては十分な報酬や施設を提供できないといった現実がそこにはある。

自国で資格を持ちながら、賃金の差・環境の差からやむなく先進国へ看護師として出て行く人々を止められない国の苦しさが見え隠れしている。

今後、これらの人が我々のそばでサービスをしてくれる際に「故郷に年老いた両親を置いて出稼ぎに来た看護師たち」に対し、彼らのサービスをどのような気持ちを持って受けとめたらいいのか迷うところである。

皆、当然に両親と一緒に暮らしたいし、両親の世話をしたいのだから・・・

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