ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

偽作。

2007.11.16

日曜日の13時。皆さんは、この時間は何をしているかな?

私はあるテレビ番組を楽しみにしています。それは「開運!なんでも鑑定団(再放送)」。

自慢のお宝の鑑定をする人気番組です。

いざ専門家から鑑定結果を聞いて「なんてこった!」の嘆きもあれば、「へぇ、こんなにするものだったの!?」という驚愕と様々。

先日、海外出張に行った際、知人が「加藤さんは骨董品が好きでしたよね。私も若いときから骨董品を集めています。その内のひとつを日本に持ち帰り鑑定していただけますか?」と依頼されました。

「高価な品をお預かりするのはいやなのですが・・・」とお断りをしたのですが。

「気にしないでください。私が購入したときはそれほど高いものではなかったから。ただ、今の日本でははかなり高いと思いますよ。ぜひ、今回持ち帰って日本の相場を知りたいのですが・・・」と何度もせがまれますので、しぶしぶ引き受け帰国しました。

帰国後、その道で一流の骨董販売をなさっている社長に鑑定していただいたところ。

「これは、大変よく作られていますが、残念ながら偽作ですよ。」と言われました。がっかり・・・。

さすが専門家ですね。その道の信用力で生きているだけのことはあります。手にとって数分ですぐわかるのですから。逆に言えば私たちの目が利かないということですね。

しかし、このようなこと、皆さんも体験ありませんか。自分が本物と思っていたものが偽物であったということ。

ブランド品に関しては偽物とわかってコピー品を買うということも多々ありますが、時々逆のこともあります。こうなったときはがっかりでしょうね。

お店で本物と言われて買ったけど実は偽物。では、なぜこういうことが起きるのでしょうか?

答えは簡単。販売者自身が偽物と本物の区別が100%できないからです。彼らは自分らが本物と思うものを本物として売っているだけであって、製造メーカーの保障をもらっているわけではないと言うことです。

実際、本物と言われて買った人たちの中で何人の方がそれが本物か否かのチェックをしているのかはわかりませんが、メーカーにまで真偽をチェックしてもらうことはしないでしょうから。

ただ、骨董品の場合は持って歩くといったような周りに見せるものではありませんからブランド品とはわけが違います。やはり自分の目利きがなかった、だまされたと言った思いが起こるようです。

でも、私の場合は違います。

それは私が物を買うときはそれが「きれいだから」「好きだから」といった点が最も重要だからです。

ですから、それが本物であろうが偽物であろうが関係ありません。もし本物であれば「ああ運がよかった!」という感じで物集めを行っています。

美に経済的価値を求めるというよりも心の満足を求めるといった感じでしょうか。

タイの薬は本当に強いの?

2007.11.09

タイでは日本と違い病院の処方箋薬を手軽に薬局で購入できます。

高血圧や高脂血栓といった生活慣習の薬や膀胱炎や性病などの薬も取り扱っているので、信頼のできる薬局へ行けばなんら心配ないです。

でも、その時はしっかり自分の症状を説明することが何より大事なこと。

また、タイの薬は日本の薬に比べてきついなどと言われています。

タイの薬は海外から輸入されたものが多いことや、海外の製薬会社の製品規格にそって現地で製造しているものが多いために、西洋人の大きな体にあわせたものなっているためです。

よって、体の小さな日本人にはきつく感じるのですね。

ですから、心配な場合や初めて飲む場合は、服用量を半分などにして様子をみて飲むのも一つの方法でしょう。

詩のボクシング。

2007.11.02

先々週、「詩のボクシング」全国大会を見に行ってきました。

私がこの開催を知ったのは3日前ということもあり、前売り券はすべて完売。当日券を求めるしかなかった。

「詩のボクシング」とは2人の選手(朗読者)が交互に自作の詩を朗読し、どちらの声と言葉が観衆の心に響いたかをジャッジする競技。会場をボクシングリングに見立てたところより、この言葉が生まれた。

参加者の年齢も幅広く10代から80代までと老若男女が楽しんでいる。また観客も同じように幅広い。

そして、今回は全国大会。地方選を勝ち進んできた強者たちが揃った試合だ。

私がこれを観戦しようと思ったのは言葉に興味があったから。

『あ、い、う、え、お』という文字は何にも感動やイメージをわき起こせない。

それが単語になり、そして単語をあわせて文節になり、その文節がまとまって文章になる。文字が大きく集合化するにつれ、そこにはエネルギーが生まれ、人に感動をもたらすまでになる。

朗読の内容次第で、その文章のエネルギーの伝わり方も全く違う。

だから、「声優やナレーターといった仕事をする人達はすごい能力だなあ・・・。その文章を生かすも殺すも彼らの語り次第。だから責任も重いなあ。」と、日頃感じていた。

だから、今回の詩のボクシングというものがあることを知った時は絶対に観戦したいという思いが強かったのだ。

会場に入ってビックリ、満席ではないか。ものすごい人気だ。失礼ながらこんなマイナーなイベントにそんな関心がある人が多くいるとはビックリだ。若者も非常に多い。

試合は16回戦であった。どれも素晴らしいものばかり。

自分の言葉を自分の声で表現。道具は身振りと声のみ。

私は身振りに左右されないように目を閉じて聞いていたが、さすが皆が地方選のチャンピオンだけはある、詩の内容も深い。

一方「これが詩?」というものも多くあったのだが、とにかく素晴らしい試合だった。

詩というよりは、むしろ『語り』といった感じではあったが、それはどうでもいい。そのエネルギーをいかに相手に伝えるかだ。

来年はサントリーホールで行うとのこと。

ぜひ、皆さんも一度観戦して見てはいかがでしょうか。

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