ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

視覚と聴覚

2011.10.28

先日、人の感覚について調べていたら「視覚の神経数は聴覚の6000倍ほどある」と、いう記事を目にしました。

「なるほど、そのとおり」と、思いましたね。

たとえば「いくら言っても相手は覚えない。同じ事を何度も繰り返し聞いてくる」と、いう人っていますよね。

こういった時「何度同じ事を言わせるの!」と、言いたくなります。

私など同じことを言うのは3回が限度です。

それ以上話さなければ伝わらないような時「この人は理解力が弱い人なんだ・・・」と怒った自分を納得させていましたが、この細胞数の違いを知って改めることにしました。

そもそも、私が言葉で伝えようとしていたことが間違いだったわけですね。

人に教えるには見せる、つまり書いて教えなくてはいけないことを知りました。

でも、目が不自由だというのに難関の弁護士試験にパスする方がおられますよね。

きっと、かなりの努力をしてきたことは想像がつきますが、もしそこに点字といったことによる勉強手段がなかったら6000倍の努力(集中)をして勉強したことに他ならないわけですよね。

これって「努力はどこまでできるのか?」を考えさせられますよね。

このことを知ると「くじけた」とか「もう出来ない」などと言ってはいられませんね。

ノーベル賞から思うこと

2011.10.21

2011年のノーベル賞者が決まりました。

このノーベル賞が世界最高というのは言うまでもありませんが、私は心底これはすごい賞だと思っています。

それは私の中に「発明」と「発見」に大きな価値観の違いがあるからです。

やはり私としてもやりたいことは「発見」です。

無から何かを見つけ出すという、その驚きと喜びは言うまでもなく言葉では表現できないものなのでしょうが、そういった感動を人生のうち一度は味わってみたいものです。

無論、それは学問だけの世界でなく、広く芸術・経済・社会運動などの世界でも味わうことができるものであるわけですから私にもチャンスはあるでしょう。

ノーベル医学生理学賞は「免疫細胞の司令塔が樹状細胞である」ことを突き止めた3氏

ノーベル物理学賞は「宇宙は膨張し加速している」ことを突き止めた3氏

そしてノーベル化学賞は結晶化しないでも物は固まる「準結晶」を突き止めたダニエル博士に決まりました。

これらの科学者に共通することは「今までの理論への疑問、まさに今我々が信じていることは本当のことなのだろうか?本当と思われている事が100%真実と言いきれるのだろうか?そしてそれを信じる事に根拠(仮定)は本当に正しいのだろうか?」といった現実観念への打破でした。

まさに「脱皮しない蛇は破滅する」がここにもあります。

こういった発見は将来我々の幸せに結びつくことと思うとともに、人類の幸せを願っている神がこの3次元の世界でしか物事を考えようとしない我々に「第7感覚で4次元の世界を見る必要性」を訴えかけているような気が私にはしています。

人の持つ力(能力)ってすごいですね。

スティーブ・ジョブス(SJ)が我々に教えたこと

2011.10.14

スティーブ・ジョブズ(SJ)氏が亡くなったことは、「あまりにも会社を去ってから早すぎる。そんなに具合が悪かったのか・・・」と世界の人に驚嘆と大きな寂しさを投げかけました。

これは最近のアメリカ歌謡界を取り上げればマイケル・ジャクソン氏が亡くなった時のような感じですね。

我々に夢と感動を与えてくれた素晴らしい天才イノベーターでした。

心より氏のご冥福をお祈りすると共に、天国でもセンセーショナルなことをして皆を幸せにして下さることと思います。

裸一貫でガレージからの企業、そしてオリジナル製品アップルの開発、これをもとに世界NO1の会社としたその功績はまさに天才としかいいようがないですね。

多くの方が「どうしてこんなことが出来るのだろう?」と思っていることでしょう。

私自身も同感です。

そういえば25年ほど前に買った私の始めてのPCはMACでした。(その後しばらくしてWINDOWSのPCを使い出しましたが。)

その当時はMACといえばソフト・PCも含めてデザイナーが主として使う専門職的なイメージで思われていました。

アイコンは今では普通となった図柄タイプでした。

一方、WINDOWSの方はそういったものではありませんでした。

そして友人が私に「仕事にはやはりWINDOWSだよ。」と勧められ、交換し今に至っていますが、そのWINDOWSの画面をみた際の印象は、「これ、MACのマネじゃないの?」といったほどでした。

ソフトの違いはあれ、まさに画面に出るアイコンイメージはMACが当初よりやっていた手法でしたからね。

ですから、「これって特許や意匠権に抵触しないの?」といった感じでした。

WINDOWSがそういった手法を採用したということはそれほどMACの使い方がどんな人にもわかりやすかったということなのでしょう。

つまり、これこそがMACの特徴だったわけです。

今、メディアでは彼の功績をいたるところで多々述べています。

それほど彼は世界の人々に貢献したカリスマだと思います。

特に私は彼がすごい人だと心底思うことは「I−Phone」のOSです。

I−Phoneが発売された当時,スマートフォンは市場にたくさんありました。

欧米のほとんどのビジネスマンはこれを使っていましたね。

また、文字を打つにも小さなボタンキーがついているものが主流でした。

また、ペンタッチ式の製品も多くありました。

さらにPCをみれば指タッチパネルのものも出ていました。

ですから、スマートフォンタイプ、ソフトのダウンロード、タッチパネル、携帯できる大きさ、カメラ機能付きなどといったものは当時からすでに存在していたわけでそれほど革新的な技術ではなかったわけです。

でもI−PHONEがここまで皆の支持を受けたのは何故でしょうか?

私はこれを安価なソフトの提供サービスといったことを覗いてみれば,次の点が大きな一つの要因であろうと考えています。

このSJ氏は「触れる」に固守したこと。

つまり、人間の行動学です。

たとえば、本の次のページを見たい時に人はどうするか?

多くの方はめくります。

その「めくる」という自然の動作を追い求めたわけです。

合わせて大きく物を表現したい時は「手を横に広げて」表現する。

そういった普段なんでもなく使っている行動をとことん研究し、この考えを現実化へ移すという、ものすごい開発エネルギーを持った人だったのだろうと私は思います。

小さな四角い箱にソフトをダウンロードするとか、そのスピードを早くするとか、カメラや電話・TVが見られる、電池が長持ちするといったことは時代ともに技術革新の中からおのずと出てくる自然的なことです。

ですから、それ自体はさほどすごいことではないし、すぐ価格競争の世界に突入です。

しかし、彼はそこに目を向けるのではなく人の行動を鋭く観察し、誰もが普段やっている行動を視覚に訴えるといった点でまさに現代の天才というべきダヴィンチだったのでしょう。

私は強くそう思います。

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