ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

落ち着きだしたバンコク

2011.12.09

バンコクの洪水問題が起きてからしばらくはバンコクに行くことができず、ヤキモキしておりましたが、どうやら事態もおちついてきたようなので、先週は久々にバンコクに行き仕事をしてきました。

バンコクの中央部においては洪水を逃れられたこともあり、以前との変化は感じませんでしたが、日本人の多い地区においては、ほとんど日本人に会わないといった状態でした。

それもそのはず、多くの日本人は一時帰国してしまったということです。

バンコクへの洪水へのリスクが高まった時は街のスーパーでもミネラルウォーターがすべてなくなったほどなので、一時帰国するのも当然のことでしょう。

今はすでに事態は落ち着いています。

仕事の回復を急ぐこともあり、多くのご家庭ではご主人は早めにもどられているようですが、ご家族の方はすでに12月にも入ったこともあり、日本で正月を過ごしてお戻りになられる方が多いいようです。

しかし中心部より20分ほど川の方へ車を走らせると、あちこちで洪水をせき止めるための土嚢がまだそのままの状態でおかれています。

また、バンコクで有名な日曜マーケットのチャトチャは市場全体が2週間以上浸水したということです。

小さな店が何千も集まったこの市場はバンコクの人にとりとても大切な場所であるという一方、街中ではなかなか店がもてないような方たちの店が多かったので、さぞかしこの災難で困ったのではないかと思います。

一方、私のバンコク生活においては基本的に大きな変化はありませんが、生活環境が少しだけ変わりました。

それはいつも常宿としているホテルがあるのですが、はっきりいって普段はかなりお客が少ないのです。(この落ち着きが好きで私はここを愛用しています)。

もしかしたら、旅行客には知られていないのかもしれません。

朝食の時間でも100人以上席のあるレストランでさえ10人ほどの人にしかお会いしないほどです。

それも会う方々の95%程は外国人です。

しかし、今回は80%以上がタイ人の方々でした。

はじめは「このホテルで何か宿泊キャンペーンでも行っているのかな?」と思いましたが、たずねてみると洪水のために避難なさった方達が来ているそうです。

それなら急にこれほどまで宿泊者が増えた理由もわかります。

何せ、この増加によりレストランは席が足りず、ロビーにまで臨時テーブルを置くほどなのですから。

でも、こういったホテル暮らしができるのはごく限られた方だけです。

ほとんどの被害者はいまだ厳しい状況下で日々を過ごしていると思うと心が痛みます。

全てをゼロに

2011.12.02

先日、水泳をしながら気がついたことがあります。

その時はクロールをしていたのですが、「どのような泳ぎ方をすれば楽に泳げるのだろうか?呼吸が楽になるだろうか?」と考えていました。

呼吸が楽になるには、やはり大きく呼吸することです。

では、「大きく呼吸するにはどのようなフォームがいいのか?」と、私は一生懸命に模索していました。

手のかき方を変えればいいのか、体のねじれをうまく使うのかあれやこれやと考え、試しながら泳いでいました。

でも、そしてわかったのです。

大きく息を吸う方法が・・・・。

それは、実に簡単なことで「大きく息を吐く」ことでした。

息を残さず吐き切ることでした。

当たり前のことと言えばそのとおりですが、私にとっては大きな発見でした。

でも、よく考えるとこの事って社会での生活でも同じですね。

人の話を聞く際、ある偏見や予測を持って聞いていては偏った理解になってしまいます。

あるいはその話を受け付けないこともあるでしょう。

それにはまず「脳を真っ白にして聞く」これってとても大事ですね。

人が新しいことを考えるときもそうです。

いくら考えても答えが出ないのは今までと同じ延長線上で考え、答えを見つけようとしているからです。

行き詰ったときは全く違うアプローチが絶対に必要です。

そうしない限り答えはでません。

まさにここにおいても「全てをゼロに」がうまくいくことを教えてくれています。

息を吸うことは吐く事、つまり「得るためには捨てること」の重要性を教えてくれました。

言葉のむずかしさ

2011.11.25

最近、仕事を通じて言葉のむずかしさを非常に実感しています。

私の言う言葉の難しさとは言葉の意味ではなく、言葉のニュアンス、いわゆる「語感」です。

私の場合、全くその国の言葉ができない時には当然のことながら通訳を頼むのですが、こちらのいった事が正しく伝わっていなかったために、会議の終わり頃になって「そういう事を言っているわけではないよ」と、いった事がまれに起きたりします。

そんな時、「どこに問題があったのか?」とつくづく考えさせられます。

常に相手も自分も(会社であったり自分個人であったり)良い状態になるようにウインウインの立場で考えて話を進めていくよう心がけ、相手が理解しにくいような内容については、くい違いが生じないように確認しながら話を進めていっているのですが、こういった態度に対し相手側が「度々、確認しないでください! 私達たちを信じていないのですか!」といった不満な気持をもたらしてしまうような事もあるようです。

そういった場合、こちら側が相手のことを思い、これほどまでに考えているのに、なぜこの人はそれと違った負の考え方をするのであろうか?それともこの国の人達の考え方がそうなのか?あるいは、通訳の方の話し方が相手側にそういう風にとらえられるような言い方をしてしまったのであろうか?他にも、自分からの通訳の方への話し方が悪かったのであろうか?通訳の方の性格で私の言葉をそういう風に取らえてしまったのであろうか?などと原因がどこにあったのか実ににわからなくなります。

日本人同士であれば、万一誤解が生じたとしても、ほとんどの場合が「話せばわかる」といった気持がいつも私にはあります。

これは通訳などを介せず自分が直接相手と話し合えるからです。

しかし、これが通訳を通じての話となるとなかなかうまくいきません。

時としては通訳に問題があったのではないかと考え、別の通訳に依頼することもあります。

しかし、これでは今まで相手と話し合ってきた内容について再度説明し、良く理解してもらわなければいけないといった時間のロスと、もし通訳が良く理解していなかったような場合は、さらにコミュニケーションのトラブルが発生し本当に悩んでしまいます。

そこで、最近はあらためて次のように考えるようにしました。

1.いくら言葉に注意して話しても相手にこちらの述べたことが100%は伝わっていない
ものだ。

2.人は基本的には性悪説で相手を見るものだ。

これって人間関係(男女の中でも)でも忘れてはいけないことだなと思っています。

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