ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

販売プロフェッショナル。

2007.09.14

少し前になるがTV番組(「ガイアの夜明け」だったと思う)を見ていたら「販売プロフェッショナルの派遣」というテーマの番組が放送されていた。テーマのとおり派遣者の任務は派遣先の売上アップ。それ以外の事は求められていない。

派遣されるプロの彼ら(または彼女ら)は会社に所属している人もいれば、人材派遣会社からの派遣スタッフという位置づけの人もいた。番組を見ながらどちらのタイプにおいても企業に所属していながら、むしろフリーの立場を感じさせるものであった。

そのように感じたのは、彼らの職場(日々業務を行う場所)が一定していないためであろう。ある時は1週間、ある時はイベントのみ、時にはお店の立ち上げのみといった具合に働く場所がその時によってちがう。

これを見ながら感じたのは『フリー』という言葉の概念。

今まで『フリー』という言葉はどちらかというとマイナスのイメージがあったような気がする。和を大事にし集団行動をとりがちな日本人にとってはフリーの状態はその本人が作り出すものでなく、周りが作りだした阻害感あるものとして認識されがちであったためであろう。

だからフリーといった立場を持った人には何か寂しさを感じる。
(ただし、フリーでも職業上組織に入らないで自分の能力で生きていく職業(弁護士、俳優、など)は除くことにする)

しかし、そのTV番組に出てきた販売プロフェッショナルたちは行動はフリー的であるが、派遣された場所で行う任務には対しては、『売上げ○○万円を成し遂げなければならない。』といった厳しい使命を責負っているのである。そして、彼らはそれを駆使しながらも成し遂げていく。

つまり、そこにはフリー(自由)というよりも責任が前面に押し出されている。

自分の能力に相手が期待している。自分はその期待に応じなければならない。そのため自分の能力をしっかりと示すことが出来るものだけがフリーといった立場になれる、いわゆるスポーツ界のFA制度が一般ビジネス界にも起きてきたことを意味していた。

もはやフリーといった言葉は職業の概念を示すものでなく、『フリー』とはプロフェッショナルに重なる部分が多くなってきているようだ。

ネットカフェ。

2007.09.07

先日、知人との待ち合わせ時間まで少し時間があったので喫茶店にでも入ろうと思っていましたら、ふと見上げると「ネットカフェ」の看板が目に入ってきた。

『そうだ、ここであればインターネットを使って仕事もできる。どうせ1時間ほどのことだし。』と店に入る。

朝11時というのに店は思ったより多くの若者がいる。さらに意外にも私服を着た中年の人がいる。

『この人達、なんでこの時間にネットカフェにいるの?』

新聞でネットカフェは非正社員と失業者の宿になっていると聞いていたけど、この人達のことかな?
 
ネットカフェではある程度の軽食は取れるし、温度も快適。さらには椅子はリクライニング、店内はほどよい明るさとなっている。

自分のブースは2.5畳ほどあり、自分の世界が確保されるようになっているので、彼らが居心地よいことは理解できなくもない。

店によってはシャワールームも付いていると聞いている。まあ、シャワールームが無ければ銭湯に行けば、このネットカフェで生活ができていけるのであろう。

こういった人が、200万以上といわれる失業者の中に何人ほどいるのであろうか?

そして、このネットカフェを宿にしている人は20代が一番多いとのことだが、2番目が50代とのこと。

『なぜ、しっかり働かないの?』といった疑問が起きるのは、私だけでないだろう。

その理由は自分の定住場所がないことが原因だという。このために就職できないとか。また住居を借りるための元金とがないと言ったこともあるらしい。

でも、こんな事は友人がいればその友人の住所を借りればいいだろうし、10万円ほどのお金はアルバイト雑誌で仕事を探せば簡単に見つかると思うのだが、そうでもないのだろうか?

私にはわからない世界がそこにはある。

ネットカフェが宿となる時代。「ネットカフェ」という名前だけはいいけど、その中身はかなり違う、まるでスラム化を感じさせられた1時間であった。

食品不祥事。

2007.08.31

最近、日本では食品の不祥事が続いています。

以前の雪印乳業事件を機に少しは収まると思っていたのですが、この問題の根は深そうです。その後も不二家問題がおき、小さな子供にもショックを与えましたね。そして今回は石屋製菓の『白い恋人』です。

このお菓子、とくに香港では大人気。香港の人が日本に行ったときは絶対に土産として買って帰る名物的なお菓子なのです。やはり暑い香港では雪の北海道に強い憧れがあるのでしょうか?

このお菓子の賞味期限の改ざんが行われていたことが発覚。メディアからの激しい追求を受けましたね。

そして社長はついに、「今後、他の商品においてもどのような問題が出てくるか解らなく、自分ではそれらを処理する事はもはや無理と感じた。」とのことで辞任表明。なんと情けない弁明でしょうか。全く会社のことが解ってないと言うか、逃げておしまいにしたいというか・・・。

この釈明は全く言い逃れではないですか。私としてはこの発言は、自分はすべてを知り、自ら指示していたことを発言していると理解しています。世間の誰もが自らの保身を考え、嘘を言っていると思ったことでしょうに。

さらに、賞味期限の改ざんにおいても「売り上げが伸びる時期に商品が欠品してしまうのでそれまでに量産しておく必要があった・・・」との釈明。これが通ると思っているのが理解できません。

シーズン中に商品の製造が間に合わないのであれば、「商品が欠品します」とはっきり述べればいい事ではないのでしょうか? 

つまりは自分はいっぱい売りたくて(儲けたくて)改ざんしたということではないですか?

「消費者に買えなくてがっかりさせたくなかった。」というのはつくろい言葉。なんとも情けない話です。

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