ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

どうして、そんなにネガティブになるの?

2018.03.16

人と会話をしていて「この人の考え方は自分に合わないな・・」と感じることがありますよね。

これは、皆さん、生きてきた環境が違いますから当然のことです。私も同じです。

そういった中で、私に合わない人とは、何か難しいことに挑戦しようとする時に「そんなこと無理だよ。出来ないよ!」といったネガティブ発言をする方々です。

つまり、その挑戦が自分のことであろうと、他人のことであろうと。

挑戦においては、その将来の結果は誰にもわかりません。

でも、同じような挑戦を過去にした方がいて、成功したのであれば、私たちは同じ人間なのだから成功するチャンスがあるはずです。それであれば挑戦すべきです。

確かに、挑戦には困難がつきものです。

その困難なことが100%出来ないというのであれば、「無理だよ!」といった意見は理解できます。

しかし、たとえ0.01%の可能性であっても、そこにチャンスがあるのであれば、それを成し遂げることは「無理ではない!」と私はいつも考えています。

つまり、「100%出来ないことがハッキリと証明されなければ無理ではない」といった考え方です。

ですから、0.01%といった少ない成功の可能性であろうとも、可能性がある限りは「出来る」といった言葉を使うべきなのです

ただし、「出来る」ことを人に報告するときはその成功を確立して言うべきですがね。

「出来ない」という方は、まるで100%出来ないかのように言いますが、「これ以上考えることが出来ないという程、考え抜いて言っているのか?」と思えば、多くの場合そういったことはありません。

寝ても覚めても考え抜いたなどといったことはしていません。

仕事の場合であれば会社で考えた、電車の中で考えた。といった程度で、夢の中までは考えてはいませんから、こんなことでは「考え抜いた」にはなりません。

ですから、こういった方は「出来ない」という言葉を言うのでなく「困難な問題があるからこれを克服しなければいけない」とか「乗り越えなければいけない課題がある」といった表現をして、もっとポジティブに考えるべきです。

私は、日々の行動や発言は人の生き方を変えると信じていますので、マイナス言葉はやはりプラス表現で言うべきだと思うのです。

その方が人生は、きっと楽しいはずです。

自分のスタンスはどちらなの?

2018.03.09

皆さんも人から色々と相談を受けることが多いと思います。私も年齢を重ねたからの理由なのでしょうが、老若男女問わず相談を受けることが多い気がします。

そういった相談を受ける際に最も困ることは、その方のスタンスが決まっていない時です。

「●●●で悩んでいるのですけど、どうすればいいでしょうか?」と言われても困ってしまいます。

まずは「その方がどうしたいのか?何故、そう考えたのか?」その決断をした根拠が何も解らなければ、何もアドバイスできませんよね。

皆さんはどう思われますか?

あるいは「自分は色々と考えた上で●●●と決心した!」と言っているのに、私がそれとは違うアドバイス(相手が期待していないような答え)をすると、すぐに心が動揺してしまう人がいます。

これっておかしいですよね。

「色々と考えて・・・」と言っているにもかかわらず、色々と考えてないから、すぐに心が変わる(動く)のではないでしょうかね?

「決心をした!」と言っておきながら、「やはり決心してないじゃないか!」と言いたくなります。

やはり、相談する際にも、とことん調べたり、考えぬいて自分のスタンスをしっかり決めておかなければ、相談を受ける側を含めて互いに時間の無駄になってしまいます。

実際に社会においてもそうです。プレゼンテーションであれば自分の考えを述べるわけですが、そこで自分のスタンスがしっかりとしていなければ(かつ、自信を持っていなければ)、聞き手を納得させることなどできるはずがありません。

もし、プレゼンテーションで突っ込まれたのであれば、考えやデータが甘かったからです。これからは気をつければいいのです。

人は色々と悩みを持ちますが、いつまで抱えていても解決などしません。

どこかで区切りをつける必要があります。恋愛もそうです。徹底的に考えた上で決心したのであれば、後は自分を信じるだけです。

もし、それが自分の思ったような方向で進まなかった場合は、もしかしたらその決定の際に何か仮定をつけていたのかもしれません。

そうした決定方法をしていたのであれば、その仮定が違っていたのですから、それを見直して再び決心して進めばいいだけです。

一番いけないのは答えを持たずに進むことです。

こういった状態で人に相談してはダメです。

貴方の人生なのですから?人生を大切にしてください。

考える力と限られた時間

2018.03.02

私の趣味の一つに熱帯魚の観賞があります。優雅に泳ぐきれいな魚たちを眺めていていると自分もあのように優雅に泳げたらなあ~と思うことがあります。

魚たちは餌を探すために岩をつついたり、砂地をじっと探しまわったりしています。そして自分の縄張りに他の魚が入って込んでくると、すぐに追い払い攻撃に移ります。そして、相手が縄張りより出て行くと、またゆっくりと泳ぎまわります。

狭い水槽ですから、すぐにまた他の魚が縄張りにやってきますから、朝から晩までまさにその繰り返しです。そう思うと、水槽で魚を飼うことが大変魚たちに申し訳なく思います。

そういった魚たち見ながら思うことがあります。

魚たちは何か考えているのだろうか?

彼らは自分の陣地を守る事と食べること、そして危険から身を守ることしか知らないのだろうか・・・?

もしそうなら、かわいそうな生き物だなあ・・・。
でも、この世のほとんどの生き物がきっとこの魚と同じなのだろうが・・・。

自分の寿命も知らず、与えられた餌を食べるだけ。それもいつも与える餌しか知らない。他にもある美味しい餌の事も知らず、またそういったものを食べようといった夢を見る事もなく、他の魚と友達になって遊びまわる喜びも知らず、自分がいつまでも一緒に居たい素敵なパートナーの事を考えることもなく、ただただ、海水の中をゆっくりと泳ぐのみだ。

魚らには夢はないのであろうか?

それとも人間以外の生物は夢を持たないのであろうか?

犬もそうなのだろうか?

犬が時々夢を見ているのでないかといった動きをする時があるが、それは単に顔が引きつっているだけなのであろうか?

犬は自分の寿命を知っているのだろうか?

それとも歳を取ってくるとわかるのであろうか?

もし、それがわかっていれば犬は元気な間に自分のしたいことをするのであろうか?

あるいは、その生き方や行動は変わるのであろうか?

人は他人に何かをしてあげて、相手がそれを喜んでもらえると嬉しいものだが、犬もそうなのであろうか?

道を歩いていて、他の犬に出くわし、その犬に道をゆずってあげた時、相手の犬はありがたく感じるのであろうか?

それとも何も感じないのであろうか?

意外に、相手の犬は「自分はお前より強いのだからお前がよけるのは当たり前だ!」と感じているのであろうか?

こういったことを考えていると人間の素晴らしさにつくづく感心します。

人間が幸せなのはやはり自分の生命の時間を知っているからなのであろう。

そういえば次のような言葉を思い出しました。

「あなたが彼女を愛せるのは何故ですか?それは終わりが在るからだよ」と・・・。

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