ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

ありがとう

2018.02.05

先週、私の大事な友人が逝去しました。

最後に会ったのは4年前。その後、彼は仕事のためにベトナムに駐在。その仕事も昨年8月には終わることになっていました。帰国後再会しようと思っていましたが、8月以降も連絡が無いので、「これはプロジェクトが長引いているのだな。」と想像していました。

そう思いながら時間は経過して、1月29日、彼の訃報のメールが入りました。「まさか!」一時は信じられませんでした。エネルギッシュな男でしたからね。

そして、1月31日のお通夜、翌日の告別式に参列させていただきました。そして式場に飾られた彼の優しい顔写真を見ながら色々な思い出が走馬灯のようによみがえりました。

最後の別れの際にお棺に献花をさせていただき、彼の顔をじっと見ながら最後のご冥福を祈りました。その後、ご親族の方が最後の献花をされたのですが、その時の奥様の言葉が私にとっては印象的でした。

奥様が花をたくさん持って泣きながらお棺に近づき、彼の安らかな顔を見つめ「貴方、ありがとう。本当にありがとう・・・」といった言葉が胸を打ちました。

夫妻には、残念ながら子供がいなかっただけに彼は奥様をこよなく愛しました。しかし、会社においては大事なポストに付いていただけに家を離れる事も多く、日本にいても帰宅はいつも遅かったですから、寂しかったことも多々あったようです。

そうして、彼とやっと2人の時間を持った時には彼は既にガンに侵され、病院での闘病生活の始まりでした。転移性のガンであったために痛みも強く、横で看病なさっていてもさぞかし奥様も辛かったことでしょう。動けなくなってしまった彼の看病は精神的にも肉体的にも本当に大変だったと思います。

彼が健在なときの幸せな生活、そして長きにわたる付ききりの看護。この時を全て通して彼への最後の言葉は「ありがとう」だったのでした。

私は最後の別れですから、奥様は何か色々と言葉をかけられるのではないかと思っていたら、「ありがとう」だけでした。それだけというよりもそれしか言葉が出ないというほど2人は一心同体だったのですね。実際、毎年頂く年賀状もいつも二人の元気な姿の写真でした。

彼の最後を通じて、私は「ありがとう」の言葉の意味の深さが何かわかったような気がしています。

人の思い出の中には楽しい思い出と嫌な思い出〔苦しい思い出〕があります。

でも、その嫌な思い出も後から考えると、時として自分が正しかったわけではない場合もあります。しかし、人は自分にとっても甘いですから、自分にとって辛かったことや嫌なことについては、それを与えた人、またはそのような環境を作り出した人や組織に恨みを持ちます。

でも、実はそれは違います。

自分にも何か落ち度があったのです。でも、本人は全く気がつきません。全て思考が外に向かっているからです。

それが内に向かったとき、出る言葉は感謝の言葉だけなのでしょう。

P.S.
先日、就職が決まった大学生と話していたら、彼は企業を探すに当たりインターネットを使ったそうです。そしてその会社の社風を調べたそうです。

そこでは皆さんも知っているようにその会社の社風や仕事の内容が現行社員により掲載されているそうです。

一方、その会社を辞めた人が名を伏せて掲載しているページの就職サイトもあるようですね。そして、そこでは多くの場合、会社の悪口が書かれていると言っていました。

その話を思い出し、そういった悪口を書いている人は、きっと自分にしか目が向かない人なのだろうな。会社は本当に実力があれる社員を手放すはずがありませんからね。

ですから、その辞めた人が当時社員であった時には、会社はきっとその人に色々なチャンスや教育、楽しい経験を社員にさせてあげたはずです。

そういった恵まれた環境にあった事を全く忘れ、自分の好き勝手に書いているような方の偏ったコメントを見て、どうして真の会社の実態がわかるというのでしょうかね。

ですから、その大学生は、本来はそんなコメントを見るより、インターンシップで体験するのが一番いいと言ったことを思い出しました。

会社をどういった理由で退社したにせよ、やはり、そこでも「ありがとう」といった言葉が必ず出るような働き方をすべきだと私は思っています。

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