ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

韓国で好まれている「松の実」

2016.10.14

先週は韓国におりましたが、すでに韓国では栗の時期が終わり、マツタケと松の実の季節となっていました。

しかし、今年は雨量が大変少なかったことで松茸は不作、街中でトラックでマツタケを運んできて売っている光景も見かけることがありませんでした。

しかし、健康維持で人気のある松の実に関してはそれ程の不作ではないようです。

おそらく、松の木は砂を防ぐ木として海岸線に植えられたりしていますから、水が少なくても成長できるからなのでしょうか。

さて、「松の実」と言ってもピンとこない方がいるかもしれませんね。

これは松かさを割ると芯に沿って出てくる種子があり、大きさは大人の中指の爪ほどです。

その種子の殻の中にある胚乳を「松の実」と言っています。

胚乳の大きさはスイカの種の1.5倍程で丸みをおびています。

味にはほとんどクセがなく、硬くもないので韓国では皆さんよく食べる木の実の一つです。

私がこの実を知ったのも友人からのプレゼントでした。

「とても体によいから送りますよ!」いって送ってくれたので、毎朝大さじ3杯食べてきました。

でも、「あの松かさの実の中が食べられる?」と、お思いでしょうが、実は我々が普段見ている松かさは黒松や赤松ですので松かさは小さく、幼稚園児の握り拳ほどです。

韓国の松は「朝鮮五葉松」といい、松かさも日本と比べると4倍ほど(大人の握り拳1.5倍ほど)あります。

ですから中の種子も大きいわけです。

しかし、この松かさを取るのは、とても危険な作業なのです。

松かさのなっているところは木の先端です。

木の高さは15m程もあり、その先端まで登り、そこから7mほどの棒を横に伸ばして、周りにある松の木の先端に実っている松かさを引っかき落とすのです。

7mほどの棒を使う理由は周りの木は5m程の間隔をあけて植えられているためです。

先端まで登ればすぐ脇になっているわけではないのです。(植林の間隔を狭くしてしまうと木の枝がぶつかり合ってまっすぐに健康に育ちませんから間隔をあけています)

一方、木の先端で自分を支えるのは木の枝のみです。

先端の幹一本だけですと折れる可能性が高いですから、先端から伸びている枝木を幹に引き寄せ紐でしばって一まとめにして、折れないように工夫しています。

しかし、7mもの棒を松かさめがけて振り降ろしたり、引っぱたりと何回もやり続けるのですからかなりの力がいります。

やる度に先端はぐらぐらとゆれ動くので、もし落下すれば大怪我することは確実です。(この為、仕事も重労働ですし、事故の対応も考え4人以上のチームを組んで行うようです。)

木に登る方法も靴に鋭いスパイク器具を縛りつけ、これ以外は何もつけず素手と脚の力で上っていきます。

ロープもなしです。

まさにプロのわざです。

私は高いところは嫌いですし命が惜しいので、こんな危ない仕事はとてもまね出来ません。

そういった危険をおかして採取された松かさは、長さ2m程の大きな袋にぎっしりと詰められ山肌を転がして山麓まで下ろします。

そして村に持ち帰った後、機械で松かさから種子を取り出し、更に別の機械で胚乳と殻を選別します。

こうして取り出された胚乳は食用になり、廃棄物である松かさや殻は種火付け材に再利用されるそうです。

さて、採取された松の実ですが、お店では実がそのまま袋や缶詰にされたり、酒(松の実マッコリ)として店いっぱいに置かれ販売されています。

あの小さな種を集めて、これ程までの商品を製造するのですから、あの危険な仕事によってどれほど多くの松かさが採取されたのでしょうか。

私はただただ商品を見ながらそのことを思いましたね。

でも、この松の実はとても健康・美容によいことから韓国ではすごく人気のある木の実の一つです。

美肌作り、滋養強壮、老化防止、血行促進、コルステロールの低減などと何にでも効くといった「万能な木の実」といった感じです。

事実、中国では「長寿果」として珍重され薬膳料理や宮廷料理などにもよく使われています。

その一つの理由は松の実には高血圧や血栓抑制、コレステロールの低下、動脈硬化予防などの効果のあるオレイン酸、リノール酸などの不飽和脂肪酸が豊富に含まれているためです。

また、五葉松の種子にはそれ以外にもピノレン酸(オクタデカトリエン酸)という五葉松にしか存在しない脂肪酸も含まれています。

だからこそ、現在でも松の実は「長寿果」として珍重されているのです。

こういった事で、韓国ではとても人気のある松の実ですが、同じような内容で日本ではセサミン成分を持つゴマがありますが、松の実とではどちらがよいのでしょうかね?

私は松の実だと思っていますが、ただ松の実の方が圧倒的に高価な点が難点です。

やはり何といっても採取が大変ですから当然なことですがね。
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今日の昼食は大ヒット

2016.10.07

本日は久々の韓国です。

昨夜ソウルに着き、朝食は外で食べました。

11月になりますと街のあちこちに白菜をたくさん積んだトラックが目立ちだし、いよいよキムチをつけるシーズンだなと感じるのですが、まだこの風景はありません。

今年の韓国は雨が少なかったため白菜が高いと言われていて、毎年欠かせないキムチの準備に主婦は頭を悩ませる事になりそうだと韓国のスタッフが言っていました。(この日スーパーで見た白菜はなんと1個700円もしていました)。

経済も中国の成長が鈍化し、これにのって移行と政治経済をシフトしていた韓国だけに大きな打撃ですが、気候の理由といえども食卓のキムチまで打撃を受けると、理由は違うにせよ「韓国は今、厳しい社会状況だな」と国民全体が感じることでしょう。

一方、当社の韓国Officeは金浦空港より車で10分程の、日本からの出張には非常に便利な所にあるのですが、訪れるたびに街が数多く変わっています。

以前はパン屋と携帯電話、そして鳥のカラアゲの宅配店がどんどん造られていましたが、今は喫茶店と小さな食堂へと変わったように感じます。

多分これも経済を反映してなのでしょう。

お店の経営がうまくいかなかったことによる事業転換と、リストラなどで退職した方々がなかなか仕事が見つからないことから独立して店屋を開いたのでしょうかね。

これらは大きな店ではないので、おそらく会社経営というよりも個人経営なのではないかと思います。

しかし立派ですよね。

「自分の人生は自分で切り開くぞ!」といった気力を感じます。

おそらく日本人でしたら「何とかしてどこかに就職をせねば・・・」と考えるでしょう。

店を開くとなると、韓国では繁華街でなくても小さな店で1000万円はかかりますから、彼らにとっては大金です。

日本人であれば、中年以降になると不動産の購入意外に1000万円以上をかける人はほとんどいないのではないでしょうか?

一方、今日の昼たまたま入った路地裏の韓国食堂では、店の外壁にサバの塩焼きの大きな写真が張ってありましたので、「これに自信があるのだろう」と思って入ってみました。すると半分以上の客のテーブルにはこのサバが置かれていましたので、「思ったとおりだ!」と、メニューを見ることもなく私も早速注文しました。

待つこと10分程で出てきたサバは、今まで見たことのないほどの大きなサバの開きでした。

そして醤油をかけずに食べてみると、それはおいしいこと最高です。

「こんなおいしいサバは食べたことがない」と、言ったほどでした。

価格は9000ウォンと昼の焼き魚定食としては韓国では高いほうですが、この味であれば倍出してもいいと思うほどのおいしいものでした。

今回の出張での思い出はこのサバになりそうです。

さて、午後も頑張って出張の目的を終わらせねば・・・。
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「個」への移行

2016.09.30

最近、ニュースを聞いたり町を歩きながら特に感じることがあります。

それは世の中が「個」に移ろうとしているのではないかと・・・。

例えば、国の動きといった面から見ると、中国は自分勝手な解釈で南シナ海に軍事基地を造ろうとしています。

イギリスはヨーロッパ連合の枠から抜け出して、自分の国益を優先しています。

アメリカの大統領選では、トランプ氏が心のおもむくままに好き勝手なことを述べています。

彼の話の中には擬態的な方策などありはしません。

道路を歩けばスマホに心を吸い取られてでもいるかのように、頭も上げずにじっと画面を見ながらゆっくりと若者が歩いています。

公園ならまだしも、歩道でも、横断歩道でも、エレベーターでも、更には駅の階段でもです。

他にも歩道を横に占領して歩く若者たち、一体どうなっているのでしょうか?

子供達の世界に目を向ければ、いじめが起きています。

自分にとって、ただ気に食わなかったやつだから、あるいはいじめたりからかったりするのが面白かったからということだけで、相手を死にまで追い詰める行為にまでエスカレートするのですから異常です。

東京の築地市場を新たに豊洲に移転させようとしたら、市場の建屋の下に盛り土を行っていなかった事件も同様です。

これは設計部がいけないのか、土木部がいけないのか、それとも他の部署がいけないのか、今だに責任の所在が全くはっきりされていません。

責任者は「知らなかった、聞いていなかった」の返事だけ。

これって、どういうことでしょうか? こういった回答をすれば責任がないとでも思っているのでしょうか?

私には理解できません。

私が上司であったら「知らなかった」で回答になっていると思うか!と問いただしますがね。

今回の都庁関係者の対応で、都庁への世間の信頼はゼロとなったといっていいでしょう。

彼らには連携意識などは全くなく、単に自分の与えられたことにしか目が向かない単細胞生物としか私には思えません。

こういった色々な問題が全て「個」という言葉に集約されているように思うのですがいかがでしょうか?

昔は周りで困った人がいたら皆で助けあう心がありました。

おいしいものが手に入れば皆で分けあっていました。

外出するために子供の世話ができなければ、隣のおばちゃんが預かって面倒を見てくれました。

経済的に豊かではなかった時代ですが、皆の心はとても豊かで幸せでした。

そういった連帯感がなくなってきた今の時代です。

何か世の中が違うところに向かっているような気がします。

それはきっと人間性が変わってきているからなのでしょう。

その原因は、社会のモラルを子孫へ教える事をしなくなったからではないのでしょうか?

やはりそれは大人に責任があります。

人を傷つけてはいけない、人のものを奪ってはいけない、人の才能を伸ばすことを応援する、相手の気持ちを考えろ、人には感謝をしろ。

こういった当たり前のことを私たちが一人ひとり守るだけで、世の中は大きく変わるのではないでしょうか?

世の中を変えるのは決して技術や経済だけではないはずです。

もっと身近で、それもお金も技術も力も必要としない人としての当然の生き方(心のあり方とでもいうのでしょうか)で、かなりのことが出来るのではないでしょうか?

最近、いつもこんなことを考えています。

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