ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

部屋の隅にたまるホコリからのビジネス思考

2014.07.25

先週部屋に掃除機をかけている時に思ったことがあります。

部屋の真ん中にはほとんどホコリはたまりません。

たまっているのは部屋の隅です。

そのホコリを取れば部屋がきれいさっぱりした気持ちになります。

つまり「部屋を掃除する」というのは部屋の中心だけに掃除機をかけるだけではなく、部屋の隅までしっかり掃除機をかけてホコリを取り除く事です。

でも、なかなか隅のホコリまで気がつかなかったり、取り除かなかったりするものです。

ビジネスの世界もそうなのでしょうね。

人が注目するところにはビジネスチャンスがあり、そこに多くの会社が集まってきます。

そのためこの分野は華やかに見え、多くのサービスや技術革新が起き、にぎわいもあり、儲かるチャンスも出てきます。

しかし、そこで企業が勝ち残っていくことはとても大変なことです。

では、勝ち残っていくためにはどうすれがよいのでしょうか?

人が何かを求めようとすると、一方ではそこに必ず何かトラブルが発生するはずです。

何故なら100%満足ということはめったにありえないからです。

つまり掃除で言えば部屋の隅にたまるホコリと同じです。

そのトラブルの原因を掘り下げ、そこに解決策を見出すことで、さらに今よりも良いサービスや製品を提供することが出来るのです。

ですから、常に部屋のスミのホコリに気を配っていくことで勝ち残ることができ、自社のブランドをしっかりと構築していけるのでしょう。

だからこそ、こういった目立たない対応や行動があって素晴らしいサービスを提供でき、皆さんに喜ばれ続けるのでしょうね。

その一言に幻滅

2014.07.18

先日久々に今まで尊敬していた先輩に会いました。

私よりは10歳以上年上で、家柄も立派な方で、大きな会社の役員をされ、その後、ある大きな組織の理事を任されている方でした。

酒を飲みながらお話しを聞いていたら「もう僕には学ぶことがなくなったよ。」と言われました。

酒の勢いがあったせいかもれませんが、真剣に聞いていた私にとってはその一言は興ざめでした。

なぜなら「人間はいつまでたっても勉強だ。」ということを心に納め、間違ってもそういった言葉は言えないと思っていたからです。

私達は日々いろいろな欲望を持って生きています。

もう少しお金があったなら、もっと若かったなら、もう少しきれいだったなら、もう少し背が高かったならと、全ては満たされない中に生きています。

でも、もし、こういった望みがかなえられ「もう自分には望むものがない」というようなことが起きたなら、本当に幸せな人生が送れるのでしょうか?

人間の自然な姿は欲望の塊だと思っています。

自分の望みが達成したら、新たな望みが生まれるのが当然と思うのです。

今まで行ってきたことを、更に大きな分野へと広げたり、深く研究することもよいでしょう。

あらたな目標を掲げ、例えば、「宇宙に旅行してみたい」「ピアノが素晴らしく弾けるようになりたい」「何かを発見したい」などがあってもいいのではないでしょうか。

なのに、「もう僕は学ぶことがなくなった」など、なんと情けない言葉なのでしょう。

視野が狭い発言なのでしょうか?

彼への尊敬の気持ちが一気に吹き飛びました。

自分にとって到達できた場所は、更に卓越した人にはそれはほんの入り口に過ぎないのです。

世界にはすごい方がおられるものです。

そのことは歴史が教えてくれます。

つまり、いつまでたってもゴールにたどり着かないその不満が、実は我々を幸せにしてくれているのでしょうね。

結果が良いだけではダメ

2014.07.11

最近、若い方達とビジネスの話のみならず世間話をしていると、何か問題が起きた時に、
目の前の現象のみに目がいきがちになり、「なぜこういった問題が起こっているのか?
なぜ起こってしまったのか?」について問いただしてみると、意外にその現象を原因と考えている事が多くあります。

彼らも「現象」と「原因」を漢字で見れば意味の違いはしっかりとわかるのですが、生活の中ではやや勘違いしてしまうことが多いいようです。

例えば、「会社に遅れて出勤したのは電車が遅れたから」といった感じです。

電車が遅れたのは現象であって原因ではありません。

電車が遅れたからには、そこに原因があったということです。

つまり「信号が故障したから」ということです。

そして、さらにその故障はなぜおきたのか?定期点検がなされていなかったためなのか?

それとも、突然の電気系統の故障によるものなのかといったことです。

このように深く原因を追い求める思考をすることはとても楽しいことですし、世の中が違って見えるようになるのではないかと思います。

実際、私達は自分らの行動や、それにより引き起こされた結果ばかりに目を向けがちです。

本当は「何故それを行ったのか?」「何をしようとしていたのか?」といった行為の意図こそが大切だと思っています。

物事は結果がよければいいというものではありません。

とても大切なことは自分の思ったように物事を動かす(コントロールする)ことです。

たまたま結果的に良い内容になったとしても喜んではいられないということです。

私の会社では、このことをとても重要視しています。

例えば営業の売り上げです。

ある計画をもち営業計画をたて、目標を達成するために宣伝・販促行為を行っていきます。

その結果、計画(意図)以上の結果が出たとしましょう。

しかし、結果が上回ったこと自体はとても嬉しいのですが、それが意図したようにならなかったことは、やはり残念というべきです。

計画以上の結果になったからには何か理由があると思うからです。

その原因は「運」によるものかもしれません。

あるいはお客様が、たまたま多くの買い物をされたためかもしれません。

または、新たに新規のお客様が来て下さったためかもしれません。

その原因がはっきりしないままでは、いくら結果が良くても、何か恐ろしい感じがします。

そのため、当社は計画値の上下5%以上の開きがあったときは、その原因を追求して考えるようにしています。

つまり人の喜びは「自分が思ったように物事をコントロールすること」と考え、予定していたことがプラスやマイナスになろうが、計画値の5%以上の誤差が起きた際は、思ったようにコントロール出来ていなかったと認識すべきだと思うからです。

常に結果だけを見るのではなく、意図、方法、プロセスを検証する行為を行ってこそ、私達は次への成功や幸せをつかむ事ができるという気持ちがあるからです。

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