ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

猛暑の中、部屋で咲いた一輪の花

2018.08.17

暑い日々が続いておりますが、皆様お元気でしょうか?さて、先週末にタイより帰国しましたが、タイの方がはるかにしのぎやすく快適でしたので、この暑さにはビックリしています。

こういった厳しい暑さの中で思い出すのが、若き時代をすごしたアフリカでの生活のことです。当時はアルジェリアの砂漠のど真ん中や地中海などに駐在していました。そのサハラ砂漠での仕事は日中の直射日光の元では56度でしたので(60度を超える日もたくさんありました)、自動車を日光下に置いていると車内はまさにサウナです。ハンドルは握れないような熱さになってしまいます。そうした環境の中でも我々は働かなければなりません。

当時、私は世界の国々からアルジェリアの国を支える国家プロジェクト事業を担当していました。そして、そこで働く人は非常に多いうえに様々な国から来ています。例えば、フランス人、イギリス人、フィリピン人、日本人、イタリア人、そしてアルジェリア人といった人たちでした。では、ここで質問です。

こういった驚くような暑い環境下でも働ける人はどの人種でしょうか?

アフリカのサバンナでの生活ドキュメント番組などをご覧になった方にとっては、それは暑さに慣れているアフリカの人、つまりここでは当然「アルジェリア人でしょ!」とお答えになることでしょう。私も日本にいる時はそう思っていました。

でも、実際は全くちがいました。アルジェリア人と話すと「こんな暑い中ではとても働けないよ!ムリムリムリ・・・。でも、日本人はすごいよね。この暑さでも働けるのだから。彼らは暑くないのかな・・・?」と答えてきたのです。これにはビックリしましたね。

当然のこと、彼らは仕事のスケジュールを守るため働かなければいけませんが、この暑さではとても働けないと、西洋人やアルジェリア人は働きません(休んでばっかりいます)。労働を強要するとすぐに労働組合の幹部達がやってきて、自分らは不当な扱いを受けていると抗議が始まりだします。「別途手当てを払うから働いてくれ!」と言えば彼らも働くかもしれせんが、それは金が入るからであって、それがなければまず働きません。ですから、交渉は大変です。

でも、日本人は違います。しっかり働きます。

よほどの危険を感じなければいつもと変わりなく働く(任務をこなす)のです。

これは、日本人はお金の前に自分に与えられ責任をはたさねばならないと言う「強い使命感」で仕事に従事しているからだと思います。やはり、日本人はすごいですよね。その精神の違いを強く感じた事を今でも覚えています。

一方、先週は自分の大好きの花の一つが咲きました。

皆さんも花が好きだと思いますが、たくさんあるとキレイに見える花や、一輪だけの方がキレイな花がありますよね。私は「どちらが好きか?」と問われると難しいですが、もしかしたら一輪派かも知れません。スイセンやスミレのようにやや弱々しさを感じさせる清楚な花が好きですからね。

そして、今回咲いた花は「サギ草」です。多分皆さんあまり見かけたことのない花かと思いますが、7月から8月にかけて咲く花で大きさは3cm前後の小さな花です。とても美しい花です。心がきれいに洗われる様な気持ちになる花です。

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タイも占領されるかも?

2018.08.10

今週は久々にタイに来ております。

こちらに来る前の東京も36度以上の日が何日も続き、うだるような暑さの毎日でしたが、こちらバンコクでは今は雨期の季節ですので気温は28度ほどです。青空も少なく、空は雲がしっかりと覆っていますので日差しも弱く、過ごしやすい気候です。ですから、東京のあの異常な暑さを考えると、その暑さから逃げてきたような気がしています。

さて、タイは景気がいいのか、それとも首都バンコクだけなのかはわかりませんが、あちらこちらで建設が行なわれています。多くは高層マンションやショッピングモールの建設、あるいは改装工事です。ショッピングモールの建設が多いという事はやはり消費者の生活が豊かになって来ていて、生活用品や食品への支出が増えてきているということなのでしょうかね。

高級車も以前よりも増えたように感じます。週末のショッピングモールの中にあるレストランの前は人がぎっしり並んでおり大繁盛です。

一方、西洋人は少なくなったように思います。もしかしたら首都バンコクだけなのかもしれませんが。その代わりに増えているのがやはり中国人です。その数は圧倒的です。その次はインド人か韓国人かなといった感じです。日本人はかなり減っているように感じています。

とにかく国内線のターミナルに行くと時にはタイ人より中国人の方が多いのではないかと思うほどの人数がいます。また、最近は国際便においても中国人専用の入国審査ラインが作られているくらいですから、よほど多くの人が来ているのでしょう。

まさにタイも中国人によって占領されているといった感じです。 また、一方ではこれによって利益をもたらさせていると、ひしひしと感じます。実際、タイにおいては経済界を握っているのはタイ人というよりもタイに居る華僑(中国系の移民者)です。そして今は供給者側のみでなく消費者側においても中国人のウエイトが大きくなってきているといった感じです。

また、観光収入が大きく締めるタイにおいては嬉しい事ですが、諸外国からの観光客からみるとマナーを知らない人や騒がしい人たちが、たくさんいるのは本当は嬉しくないことです。

今夜も5台の中国観光客を連れたバスが到着するそうです。ですから、明朝のロビーやレストランもさぞかしうるさくなる事でしょう。今まで静かなホテルで良かったのですが、今はだいぶん雰囲気が変わった状態になりがっかりです。「どうにかならないのかなあ?」と思っているのは私だけでないと思うのですが・・・

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夢を追いかけるエネルギーの源泉は?

2018.08.03

先週、東京は台風の接近により大雨が降ると警戒されていましたが、台風は大きく西にそれて風が強かった程度でした。その台風の去った日曜日の夜、ある大手商社に入った友人と夕食をしました。彼は有名大学の大学院を出て、その後エリート街道を進み、女性の方が憧れるような素敵な海外の都市のいくつかで支店長を経験し、今は本社に戻ってきています。

まさにエリート街道まっしぐらの男性です。その彼が僕にある相談をしてきました。

「加藤、君と話していると色々な夢を聞かされるよ。話をきいてうらやましいよ。そういった夢はもちろん僕にもあるのだけど、一点、君とは違う事を感じるのだよな。俺は君のようにいつまでも夢を追い続けることができないのかな。自分の夢であるのに・・・。もしかしたらこれは歳のせいかな?だけど、歳は君と同じ程だしなあ・・・。それなのに、なぜか加藤は夢をいつも追い続けている。これはどうしてなんだい?俺にはできないのに・・・」と。

私はしばらく彼を見つめて次のように言いました。

「君の会社が行なうような大きな仕事の多くは、会社がそういった仕事を創りだしたことを、責任を持って遂行できる君に任せたのだよ。これはすごい事じゃないか!名誉なことではないか!立派だよ。男であれば誰もがうらやましがることだよ。それが任されている理由は君には実力があるからだと思うよ。そして君も会社に入った時には「社長になるのだ!」と言っていたのだから、これを成し遂げられるようにがんばれよ。

でも、君の話を聞いていて実は気がついたことがあるよ。君の会社のような大企業では仕事を行う上で、社内の協力も非常に重要だし、その根回しも大切だよね。そして、それに対して多くのエネルギーを使っているように感じるな。でも、僕の場合はそんなことにエネルギーを使う必要はない。この点がまず違うね。しかし、君のような会社であればそれは仕方がない事なのだろうから、状況はよくわかるよ。

でも、もっと重要なこととは、はっきり言うと。君は自分のへの見返りがあってその仕事をやっているのではないかな。君がそういった気持ちがないと言っても潜在意識の中にあるのではないかな?エリート街道をまっしぐらで走って来た君だから、親や家族もそういった君に期待しているし、君もそうならなければいけないと自然に思っているのではないかな? 君もこの仕事を成功させ、ライバルを退けて社長のポストへ近づかねばならない、それが当然の流れといった気持があるのではないかな?こういった下剋上の世界は僕にもよく理解できるのだけど、君の質問に対しては夢の持ち方が違うように感じるな。

つまり、僕は見返りを求めないのだよね。ただ、それだけの違いなのだと思うよ。

仕事を成し遂げて、是非とも社会に尽くしたい!そのためには自分の今後のことなどどうでもいい。これは恋と同じだよ。

見返りを求めるような恋はゆがんだ恋だと思わないか?本当の恋とは相手に何も求めることなく尽くしきることではないのかな。そこには何の見返りを求めはしない。仕事も、夢も本当はそうでなくてはいけないのではないかな。それでないと後悔が残ると思うよ。

だから、僕は自分の夢に対して自分への見返りなどを考えないし、またその見返りを考えて夢を創っているわけでもないからね。できることなら自分の才能のすべてを使うことで、社会で生かしてもらいたい、社会に尽くしたいだけなのだ。皆を幸せにしたいだけなのだ。そこに僕の生きがいが、生きていく意味や価値があるのだよね。だから、いつもくじけないのだよ。夢を失わないのだよ。単に、それだけなのだよ。僕は単純だから・・・。

また、そういった精神がもしかしたら、君にとっては「加藤はいつも夢を失わない」と映っているのかもしれないね。その言葉は僕にとっても感謝だよ、恥ずかしいけど、ありがとう・・・。」と。

こういった話を終え、帰宅する時、思いましたね。いくら周りが「偉い人ね、すごい人ね。」といって羨ましがられている人でも、皆、何か悩みがあるのだな~と。

神は人に幸せだけを与えはしないのだなと。神は我々に単に不幸や悩みだけを与えることはなく、その人に幸せの価値を教えるために何か比べるものをきっと与えているのだなと・・・。

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