ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

急激な円安にびっくり

2013.02.01

安倍政権になってから急激な円安が続いています。

昨年の10月頃には77円程であったのが今や90円です。

17%のUPです。

これはどういうことでしょうか? 

日本の経済が、この数カ月の間によくなったわけではありません。

単に、安倍総理が「経済を立て直すぞ!」「今までのような政権と違って、この円高を止めて、貨幣供給を増やし、融資を緩めてお金を市場にどんどん与えるぞ!」さらに「公共事業をどんどん行っていくぞ!」と、やっ気になっている姿が国民を安心させたからだと思います。

しかし、この昔の経済理論が述べていた貨幣供給の増加が、経済の成長をもたらすということは今の時代に当てはまらないことは明らかになっています。

そのため、この政策がどこまで功を得るかは疑問の多い点だと思います。

一方、今から3年8ヶ月前に大躍進を遂げた民主党は政権奪回当時、何をやったか思い出してください。

その時やったことは、「この今の日本の財政状況は危機に瀕している。毎年毎年、巨額の赤字国債の発行。これをどうにかして抑えて行かねばならない。そのためには今の財政を徹底的に見直して、無駄を取りのぞうこう」と、声高だかに述べましたよね。

まさにマニュフェストで述べていた「税金の使い道を変える」「無駄遣いの根絶」です。

この理念に基づき行政刷新会議を設置し、事業仕分けや行政事業レビュー等に順次着手し、この様子はTVでも放映されました。

特に、独立行政法人や政府系公益法人が行う事業の仕分けにおいては、バサバサと事業の廃止を決定し、その他の事務事業の徹底的な見直しも行いました。

この調査の様子は官僚の天下り先でぬくぬくと甘い汁を吸ってきた元官僚に恐怖を感じさせました。

こういった、一般人が考える無駄遣いのチェックをどんどん行うといった姿勢に対し、国民は官僚世界の内部を暴く民主党として親しみを持ち、多くの期待をかけました。

マニフェストに書かれた事をなんとかやらねばならぬといったことで、財源のない中で、子供手当や高校の教育費ゼロを行なったりもしました。

しかし、これでは経済は向上しません。

じわじわと経済が低迷化してからは、どんどん国民の気持ちは民主党から離れ、いい加減にこの不況を早く脱却してもらいたいという希望がどんどん高まりました。

そういった中での今回の自民党の復活です。

自民党は、この日本の財政を悪くしたのは自分達であるわけですが、それに国民が振り向かないように、これからの事はどうなろうともかまわないからといった気持ちで、とにかくこの円高を止めるのだと、強い姿勢で必死に頑張っている姿が国民の気持ちを落ち着かせているのでしょうね。

3月に決算を迎える企業が多くある中で、この流れはその時点まではかわらないでしょう。

輸出企業はこの円安で決算内容はよくなるでしょうから、この状況にマスコミは経済がよくなったと述べ、国民は「自民党に代わって経済は戻った。よかった、よかった。」と認識することになるのでしょう。

でも、これが本当に強い経済への第一歩には、ほど遠いと私は思っています。

いくら貨幣供給してもこのボーダレス社会において、この貨幣が国内で消費されると私は思えないのです。 

皆さんはどう考えますか?

所変われば子供料金の記載方法も違う

2013.01.25

今週はバンコクでしたが、昼に寿司屋に入りました。

と、いってもすしを食べたくて入ったのではなく、あまりおなかもすいてなかったので、喫茶店代わりに入り、日本のデザートでも食べようと思ったからです。

今日は29度ほどありましたので、本来であれば冷たいものを取るところなのでしょうが、メニューを見ているうちにやたらとぜんざいが食べたくなり、暖かいぜんざいしかなかったのですがこれを注文しました。

ぜんざいがくるまで他のメニューを見ていると、この店では夜は「寿司食べ放題2時間」を大人495バーツでやっているという宣伝が載でていました。

495バーツというと1600円ほどですからめちゃくちゃ安いです。

でも、最近Bバンコクでは色々なものが自由に好きなだけ食べられるといった店がやたらと増えだし、タイすき屋(タイ風しゃぶしゃぶ)を中心に900円ほど位から色々な料理の店がたくさん増えました。

このため、一般消費者は価格には敏感なので、おいしくても高い日本食は敬遠される事もあって、これではまずいと思い、食べ放題2時間を破格の値段でやりだしたのでしょう。

でもこの値段だと経営も大変でしょう・・・。

無論、メニューには子供の値段も載せていますが、この記載が面白いのです。

日本であれば中学生以下は○○円あるいは12歳以下は○○円といったような記載が普通だと思いますが、この店ではなんと身長120cm以下の子供は295バーツと書かれていました。

初めて身長で値段を決める店に入りましたが、確かに大きな子はたくさん食べますからこの記載方法の方が正しいのかも知れませね。

そして店側もうそはつけませんからね。

雪への思い出

2013.01.18

先日の成人式の日、関東は15年ぶりに大雪に見舞われました。

三日間の連休という事もあって、多くの方が遠出をなさったかと思いますが、この大雪で電車・飛行機・高速道路の閉鎖と、交通手段は軒並みストップし、普通タイヤをつけて出かけた方は、自宅に戻ってくるのにさぞかし大変だったことでしょう。

こんこんと降る雪の眺めは美しく白く染まった町もきれいですが、一方では多くの迷惑や被害をもたらす事も事実で、怪我や事故も多かったようです。

さて、雪を見ると皆さんも色々な思い出があると思うのですが、私にもあります。

一番初めに思い出すのは、なんと3歳ごろの思い出です。

そのころは富士山のふもと、御殿場市の小さな家に住んでいました。

部屋の窓のしきりに手をあてて外を見ると、赤い服を着た人(多分、女性の方でしょう)が、自分の方にむかってカカシのように手を横に広げて滑ってきました。

窓の外がゲレンデだったとは思いませんが(多分裏は丘だったのかも知れません)。

白い雪の中を赤い服の人がサーッと滑って行く姿が、とてもキレイで今でも鮮明に覚えています。

わずか3歳の頃だったと思いますが、その美しさにすごく圧倒されたのでしょう。

衝撃的な感動の記憶というのはいつまでたっても忘れないものなのですね。

もう一つは小学生になって暮らした青森県での思い出です。

ここには3年間住んでいましたので多くの思い出があります。

小学校の前の海には、毎年白鳥がやってきました。

その白鳥に出がらしのお茶の葉を家から持ってきてあげたことや、雪がたくさん降って玄関が凍り、ドアが開かなくなって学校に遅れたこと(ドアのしきいに母がお湯をかけて玄関レールに固まった氷を溶かすのですが、ドアが開いた後も外は大雪のために今度は私道が雪で埋まっているのです。このため、続いて母は雪かきを一生懸命に行っていましたね)

他にも寒さが厳しくなり水道管が破裂したこと。

スキー大会への出場では、男の子は黒や紺色のスキーを使っていたにもかかわらず、私は赤いスキーを買ってもらったこと。

スキーを履いて学校から家まで帰ったこと。

春になると雪の中からフキノトウが出てきて、これがどういうわけかとてもうれしかったこと。

思い出すと次から次へと出てきます。

東京から雪の多い青森に引っ越したためかも知れませんが、小さな時でも楽しかった思い出は忘れないものですね。

皆さんはどうでしょうか?   

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