ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

二人の自分

2012.09.28

会社が入っているビルの正面玄関はいつも朝8時にシャッターが開きます。

玄関を入ったロビーには新聞受けが設置されていますが、8時前に配達された新聞などは投函できないので、宛先が書かれた小さな紙が張られて、シャッターの前に置かれています。

宛先会社の社員が出勤なされば当然、その配達物は拾っていかれるのでしょうが、早い時間ですとまだ出社されてないので、その配達物は玄関の床に置かれたままです。

朝、8時10分私は出社してきました。

シャッターはすでに上がり、正面玄関が開いています。

でも、床を見ると配達物が無造作に置かれています。

「当社のものではないから、別にこれらを取る必要はない」という自分と、「散らかっているのは誰が見ても美しくないから、拾ってそれぞれの会社のポストに投函しておいてあげよう」という二人の自分が心の中に現れます。

「自分には関係ないから・・・」と、それらを拾うこともなく玄関を通り過ぎてオフィスの席に着いても、どうもやはり落ち着きません。

これって何なのでしょうか?

清潔好きとは違うと思うのです。

多分、自分の中で思い描いている自分のあるべき姿(行動)があり、これを求める自分と、こんなことはめんどくさいと自分の欲求・欲望に動かされてしまう自分がいるのでしょう。

そのため、このような欲望や欲求に自分が屈してしまうと、やはり落ち着かないのでしょう。

自分がしたいことでも、しないで自分を抑える人間。

あるいは逆にあえてしなくてもいい事なのに、すべきと自分に言い聞かせるような気持ちを持てるような人間。

これこそが真の自由の意味であり、自分を成長させることができるのでしょう。

中国国営放送

2012.09.21

昨日はバンコクの中華街にある中華料理屋へ一人で行きました。

小さな店ですが私がよく行くところです。

値段はとても安いのですが味は抜群、最高です。

バンコクに行くと必ず行く店の一つとなっています。

行けばオーナーのご主人、そして会計を行っている奥さん、ウエイトレスの人たち、みなさん顔見知りで、いつも笑顔で迎えてくれます。

しかし、今回は少し気まずかったです。

それは料理のことではありません。

国の問題です。

店のお客さんのほぼ95%が中国人で、タイ人もほとんどおらず、ましてや日本人は一人もいません。

そのため、つけているTV番組はほとんどが中国の番組です。

今回は訪れた時間も夕食時であったために、中国国営放送のCCTVがかかっていました。

その内容は尖閣列島に対する日本の行動への抗議内容です。

私は中国語がわかりませんが、一人で店を訪れたこともあり、なんとなくその番組を見つめていました。

放送内容は「日本は不当に尖閣諸島を領土だとして強い行動に出ているので、我々中国は自分達の領土を守るために、武力行使に出なければならないのであろうか?」といった内容で、ゲストを迎えてのインタビュー形式の放送でした。

店のお客はこれをじっと見つめる中、奥さんがテーブルにやって来て首を振りながら「この問題はお互いに困ったことよね・・」と、いった感じのジェスチャーを私にし、私も同じように「本当だよね」と苦悩の顔つきで答えました。

出演したTVのゲストは北朝鮮のニュースキャスターのように強い言葉とともに、手を激しく動かし、指を天に突き立ててコメントしていましたが、私はこの姿を見て「国営TVだから母国支持の強い学者や評論家をあえて選んだのだろうか?」と思ったほどです。

こういった方の話しぶりを見れば、一般中国人は「俺たちは絶対に正しい。日本人は悪者だ!」といった感じがさらに強まることでしょう。

やはりメディアの力は強いので、もっとゲスト選定については考えるべきではないのでしょうか。

過剰なサービス

2012.09.14

今週の新聞に「夫婦間においていやだと感じることは何?」と、いったアンケート結果が載っていました。

1番は「無口なこと」、そして2番は「衣類などを脱ぎっぱなしにすること」だそうです。

確かに本来あるべきところに物が収められていなかったり、物やごみが散らかっていたりするといやですね。

よく理解できる結果です。

そういった記事の載っていた新聞を、ホテルのレストランで朝食を取りながら読んでいました。

朝食はビュッフェ形式でしたので、何回でも好きなものを取りにいくことができます。

お皿にはまだ少し食事が残っていたのですが、席を立ってミルクを取りに行き戻ってみるとお皿がありません。

片付けられてしまっているのです。

まだ皿には4分の1ほど食事が残っていて、ましてや新聞がテーブルの上においてあれば、まだ食事中だと理解できると思うのですが、片付けられています。

これって行き過ぎたサービスですよね。

皿の上にはまだ自分が食べたいものがあったのに・・・

皆さんの中にも海外に行って、こうした経験は何度かあるのではないでしょうか?

でも、ビュッフェですからまた取りに行けばよいのですが、どうも気が進みません。

それは、ユニセフの宣伝ではありませんが、世の中には十分な食事が取れずに毎日おなかを減らしている子供たちが山のようにいるのに、「食べられるものがこうやって自分の意思でなく捨てられてしまったのだから、再び取っても悪くないのだ」と考えるのはどうも許せないのです。

いやなのです。

こういった子供たちのことを考えるとできないのです。

多分、このような事が起こるのは、皿の上に多くの量を残して帰ってしまう人が多いからなのでしょう。

実際、周りを見ると子供が食べきれないほどの量を取ってきて(親が取ってきているのかもしれませんが)たっぷり食べ残しのあるお皿がいくつか見えます。

親もこういった状態を見てなぜ平気なのでしょうか?

私には理解できません。

現在、世界的にエコ社会作りと言っている中に、我々の生活でもマナーやサービスを見直せばすぐにできることが、食事の世界でもたくさんあるように思います。

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