ピュア・メディカル社長ブログ『HIROの自分が変われば世界が変わる』

言葉のむずかしさ

2011.11.25

最近、仕事を通じて言葉のむずかしさを非常に実感しています。

私の言う言葉の難しさとは言葉の意味ではなく、言葉のニュアンス、いわゆる「語感」です。

私の場合、全くその国の言葉ができない時には当然のことながら通訳を頼むのですが、こちらのいった事が正しく伝わっていなかったために、会議の終わり頃になって「そういう事を言っているわけではないよ」と、いった事がまれに起きたりします。

そんな時、「どこに問題があったのか?」とつくづく考えさせられます。

常に相手も自分も(会社であったり自分個人であったり)良い状態になるようにウインウインの立場で考えて話を進めていくよう心がけ、相手が理解しにくいような内容については、くい違いが生じないように確認しながら話を進めていっているのですが、こういった態度に対し相手側が「度々、確認しないでください! 私達たちを信じていないのですか!」といった不満な気持をもたらしてしまうような事もあるようです。

そういった場合、こちら側が相手のことを思い、これほどまでに考えているのに、なぜこの人はそれと違った負の考え方をするのであろうか?それともこの国の人達の考え方がそうなのか?あるいは、通訳の方の話し方が相手側にそういう風にとらえられるような言い方をしてしまったのであろうか?他にも、自分からの通訳の方への話し方が悪かったのであろうか?通訳の方の性格で私の言葉をそういう風に取らえてしまったのであろうか?などと原因がどこにあったのか実ににわからなくなります。

日本人同士であれば、万一誤解が生じたとしても、ほとんどの場合が「話せばわかる」といった気持がいつも私にはあります。

これは通訳などを介せず自分が直接相手と話し合えるからです。

しかし、これが通訳を通じての話となるとなかなかうまくいきません。

時としては通訳に問題があったのではないかと考え、別の通訳に依頼することもあります。

しかし、これでは今まで相手と話し合ってきた内容について再度説明し、良く理解してもらわなければいけないといった時間のロスと、もし通訳が良く理解していなかったような場合は、さらにコミュニケーションのトラブルが発生し本当に悩んでしまいます。

そこで、最近はあらためて次のように考えるようにしました。

1.いくら言葉に注意して話しても相手にこちらの述べたことが100%は伝わっていない
ものだ。

2.人は基本的には性悪説で相手を見るものだ。

これって人間関係(男女の中でも)でも忘れてはいけないことだなと思っています。

赤信号でも右折OK

2011.11.18

色々な国で車を運転してきましたが、韓国の道路規則は少し違うようです。

たとえば、交差点で進行方向の信号が赤でも左からの車を注意すれば右折はOK。

一方、信号が青になっても左折をすることはできません。

左折ができるところにはその信号の下に左折OKと書かれた看板がついているのです。

でも、この看板は韓国語ですから外国人にはわかりません。

左折ができるのは左への青の矢印信号が出た時です。

それまでは、停止線で左折のウィンカーをつけて停車しておかなければなりません。

決して日本のように交差点の中央まで車を進めて、左折のウィンカーをつけて停車するといったようなことをしてはいけないそうです。

韓国での運転は日本人には難しく感じます。

なんといっても道がわかりにくいですからね。

でも、「ナビゲーションがあるから問題ないのではないか」と、考えていたのですが大誤算。

ナビゲーションが韓国語ですからね。

行き先が電話番号で検索できるのであればなんとかOKですがこれができないとなると、後はすべて韓国語入力ですので、これではお手上げです。

支配者・指導者・自由

2011.11.11

先日 大王製紙の前社長(創立者の孫)が会社のお金を個人目的に(主としてカジノ資金といわれています)なんと100億円以上を会社の規定を無視して、借り入れしていたことが
ニュースで報道されました。

報道では「前社長から要求されると経営陣は何も口答えできなかった。ただ応じるだけだった」と、伝えていました。

皆さんはこれを聞いてどう思われたでしょうか?

しかし、なんと経営陣の情けないこと。

大企業を支える経営陣がこういったことでよいのでしょうか。

彼らは経営陣でなく単に経営陣といった名札をつけたサラリーマンということだったわけですね。

会社を守るよりも自分の生活・身分を守ることだけを考えた経営陣であったということです。

しかしながら、なんと言っても社員が気の毒ですね。

自分達が一生懸命働き稼いだお金を、こういったカジノといったいわゆる遊戯賭博に使われていたとなると情けない以上の落胆でしょう。

このような会社に尽くそうなどとは社員だれ一人今後思わないことでしょうし、これを抑え切れなかった現在の経営陣に、これからはついていこうとも思わないことでしょう。

一般サラリーマンにおいて、100億円といったお金は想像がつかない膨大な金額です。

それを湧き水のごとく無謀に使う人が自分の会社のTOP、それも創業者の孫であったとは・・・・。

一方、この前社長(現在47歳)の金銭感覚がわかりません。

何せ、金額は100億円です。

普通の人なら100万円だって大金なのに・・・。

有名大学を出た彼は創業者の孫ということで、多分、会社の役員となった当時は会社を大きくしたいと考えるエネルギーの高い指導者であったことと思います。

そう信じたいです。

しかし、何を間違って会社の指導者から支配者(独裁者)になってしまったのでしょうか?

そこには「会社は何のために、誰のためにあるか?」ということは一つもわかっておらず、こうした人を創業者の孫に生まれた、というだけで社長にした会社に大きな責任があったことは避けられません。

また彼も自分の力量を知らなかったことにも問題がありますね。

この報道を通じて感じることがあります。

何故、人間は支配者になりたいのでしょか?

それは自分が好き勝手に何でも出来るからでしょうか。

周りの人が皆ひれ伏してくれるからでしょうか?

そういった事を、非常に気持ちのいいこととして感じているのでしょうか?

つまり、こういった人たちにとっては「支配」はまさに彼らの「自由」への道ということなのでしょうか・・・・。

でも、私は思います。

支配では決して自由を勝ち得ないと。

自由とは「自分を支配して初めて自由があるのだ」と思っています。

何でも好き勝手に出来ることは自由ではなくて、わがままに他ならないのではないでしょうか。

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